結婚も子作りも、バカにならないとできない
このタイトルを見てブチギレたくなる人が大半かもしれない。
まさに昨日この言葉を言って、母の怒りを買った。
このように私は言葉をそのままの意味で取った時に、相手を不快にさせてしまうことをよく言ってしまう。
ただ私としてはその奥にある感情に、悪意がない時に言葉を発する。
つまりこの言葉も、悪意が全くなかった。
ただ、言葉にした時の周りの空気は感じられるし、言葉にした後脳内で反芻して、自分はアホかと言いたくなるようなことを言ってしまう。
ここで言いたかったのは結婚・子供がいる人を言葉通り“バカ”にしたかったわけじゃない。
社会生活の中で『バカになれるやつが一番賢い』という言葉は聞いたことがあるだろうか。
自分が賢いと思って相手の言葉を素直に受け取れない、または嫌味などを素直に受け取ってしまいすぎる。
そうならずにバカ=何も考えないようにすることが、真の賢い人間だという意味だと私は捉えている。
私がさっき結婚・子供がいることに対して言ったのもまさにこの意味だ。
どちらも考えても考えても不安が出てくるに決まっている。
そこを考えないという手法をとって進めていくから、できることだと思う。
意識してやっている人は少ないだろうが、私みたいな考えすぎからするとそんなふうに見える。
私にはそれができない。
私は頑固で考えすぎで傲慢だ。
それに加え、この世に生まれたことは罰だと子供の頃から思っているところがある。
痛い、痛すぎる。
そして無駄に考えすぎてしまうせいで、私と結婚するメリットがわからない。
相手側に立つと精神不安定な女と結婚する意味がないだろう。
何も幸せを与えられない。
与えるという考えを持っている時点で傲慢だ。
そして私自身結婚願望がないが、それは1人で十分楽しいから。
いや、1人だから楽しいのかもしれない。
先述した通り、私は考えなしの発言で人を傷つける。
ただこの事象は自分が心を許している人の前でしか起きない。
家族、親友の前だけだ。
そこに未来の家族が入ってきたら、確実に傷つけてしまう。
私はそんな自分が嫌だし怖いのだ。
相手を傷つけた自覚はすぐ持てるから、自分も傷ついてしまう。
今でも毎日のように反省をしている。
これ以上反省対象を増やすのが、嫌なのだと思う。
そして子供を作ることに対しても、私は怖いのだ。
自分自身が幸せな子供とは思えなかった。
側から見たら愛されているし幸せだった。
そのことに気づけなかったところもある。
ただ、私が幸せじゃなかったと思ったのは確か。
幸せを感じられるように生きろよ!とかいう話ではない。
子供は成長途中だからたくさんのことを考えると思う。
私はそうだった。
そして考えすぎた。
生まれたことを恨んだ。
母に『産んでくれと頼んだ覚えはない』と言った。
ひどい言葉だというのはわかる。
でも今もこの世の中で子供を作る人たちに「頼まれてもいないのに、この世界に子供を誕生させるってことは、子供たちの幸せを守り続ける覚悟があるんだ。すごい」と考えてしまう。
あ、この言葉も嫌味ではない。
心の底からすごいという感情がある。
話す言葉全部が嫌味っぽいのかもしれないな、私は。
そして、どうみても考えすぎた。
親も人間。
間違う。
ここまで考える人は少ないだろう。
それはわかっている。
ただ私は私みたいにめんどくさい、人生を嘆くような人間を増やしたくない。
私はもう生まれてしまった以上、人生が嫌だと思ってもどうにか幸せを考えて生きようと思っている。
でもこれから先生まれてくる子には、そんな枷を背負いさせたくない。
まぁつまり自分のことが嫌なんだ。
自分とは違う人間が生まれる可能性を考慮できていない。
私は先述した本当に賢いバカにはなれない。
頑固で考えすぎで傲慢だから。
それに臆病だ。
だから私は結婚も子供を作ることも、それをできる人を尊敬している。
バカは褒め言葉で使ったつもりだった。
ただそれがわかるわけはない。
人はその人の考えまではわからない。
だから私は誤解を生みやすい。
言葉選びが下手くそなのだ。
私が元々の意味のバカ(fool)だ。
そして今日もまた、大切な人の前こそ黙ろうと決める。