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投資してたからここまで乗り切れた
購読している野本響子さんの今日のnoteを読んで、はたと気づきました。
マレーシアの人はお金持ちでなくても投資をしている人が多いという事、最初は貯金して投資用のまとまったお金を作って開始するそうです。(どうやってまとまったお金を作るかは有料部分なので割愛)
これを読んで思いました。「予想もしなかった世帯主サラリーウーマン生活を乗り切れたのは、20代の頃から投資に親しんでいたからかもしれない」と。
家のローンは30年で3千万という、結構大きな額を一人で背負いましたが、投資を続けていたお陰であともう少しで完済、というところまでこぎ着けました。
タイトル画像は、20代の頃にメモった貯金額です。今はなき"山一"(山一證券)が90年代の証です。今日は20代から投資を初めたきっかけを綴ります
きっかけは父
父が株好きのサラリーマンで、休日には「四季報」を読んでいました。恐らく80年代から始めていて、儲かった時もあっただろうに、家族の暮らしは質素で贅沢品を買うこともないし、家族旅行の宿泊先は国民宿舎(今はもうないと思いましたがまだ残ってますね。公営の宿泊施設です)ばかり。
私が就職してボーナスをもらうようになった時に
「貯金先に迷うなら、わしが株で運用してやろう」
と言ってくれたので、おまかせでお願いしたのが始まりです。画像のメモにある「公社債投信」だとか「トルコ債」だとか「関西電力」などは父のチョイスです。当時はまだネット証券がなかったので、父が証券会社の窓口に行って、父の名義で運用してくれていました。
で、年に1回か2回、「配当が入ったから」と数千円渡してくれたのでした。もらった私は
「へえ~、株って配当がもらえるんだ」と思ったものです。
それはノーリスクの投資教育だったかも
おまかせではありますが、運用している内容については簡単に説明してくれました。たとえば「トルコ債」は、トルコという国が良い利率の国債を売り出しており、それは○○年で償還される、とか、電力株は配当が良くてとても安定しているなどなど。。(あくまで当時の話です)
90年代半ばは既にバブルは弾け、しかも円高が進み、投資には決して良い環境ではありませんでしたが、幸いなことに父は、購入時の価格から下がっても、私には元本保証で運用してくれていたのです。(損は父がかぶる)
今考えれば”おいしい”投資教育でした。
自分で始めたのはネット証券が出来てから
そんなこんなで結婚時にはまとまった貯金になっていた事と、丁度その頃(2000年代初頭)ネット証券が次々に誕生したので、躊躇なく自分名義の口座を開設して、自分で自己流の投資を開始する事になるのです。
後にリーマンショックがやってきましたし、最初の10年の残高の乱高下は結構激しかったです。
ナニワ金融道も読んだ
漫画好きの夫が「ナニワ金融道」を全巻持っており、それを読んで「危ない投資も多いんや!」と気づいて、レバレッジの大きい投資には手を出しませんでした。
投資は全然怖くない
元々株式は、100株もしくは1000株単位で、品揃えも国内の個別株中心でした(ネット証券開始当初)。だからまとまったお金でしか変えないし、相場が下がった時のショックも大きいので心理的な敷居が大変高かったです。
そんな時代から経験している私からすると、数千円から出来るし、積立ても出来るし、日本の証券会社から世界の株式も小口で購入できる今は大変便利だし、下がった時のリスクも少ないです。
是非マレーシアの人々のようにコツコツ投資で生活を楽しんでもらいたいと思います。
肝心の「どうやって乗り切ったか」について書く事が出来ませんでしたので、それは又別の機会に~