75年という時期に思うこと

職権乱用していることがある。
とくに、この時期には使ってしまう。

8月に入ってから、新聞には「戦後75年」という文字が目につくようになった。
その新聞を持って、訓練に臨む。新聞の使い道はSTにとっては多様で、かなり幅広い方に役に立つ。


大抵は自ら「戦後75年」の文字に気づく。そして、ポロリと話を聞かせてくださる。たくさん話す人もいれば、ほとんど話さない人もいる。
「この辺も全部焼けたのよ」なんて、さっぱりとした口調で話す人もいれば、「でも、子どもながらに暗い気持ちになったわ」と声を落とす人もいる。

わたしは、仕事の中でそういった戦争の話を聞かせていただくようにしている。

もちろん、積極的に「話を聞かせてください」と行くわけではない。
けれど、生活のいたるところに、その話題につながるきっかけがある。つまり、それは特別なことではなくて、その世代の人たちにとっては普通に過ごしてきた幼少期あるいは青年期だったのだとおもう。だから、今現在の生活でも、ふと触れるきっかけがあるのだろう。
それに触れた時、わたしはなるべく腰を折らずにその人が満足するまで話を聞かせていただく。


わたしの祖母は今年米寿。
終戦の時には13歳で、両側に広がる田んぼに焼夷弾が突き刺さる風景の中、電車に乗って女学校に通ったという。

子どもの頃に祖母から聞いた戦時中の話は、みんなで防空壕を掘っただの、当時は下駄だったので歩きにくかっただの、友達にシラミが湧いていてゾゾケが走っただの、どこか長閑だった。しかし大人になり紐解けば、そこには通学路に見た焼夷弾、戦争にいって帰らなかった知り合い、長閑とはいえない日常があった。


今、高齢化しているとはいえ、仕事でお会いする高齢者の中でも90歳代は少数派だ。80歳台前半より若い方は、戦中戦後はかなり幼い。
こんな話を聞かせていただけるのも、もうあと数年しかないのではないかと思うとき、きちんと聞かなければいけないと襟を正すようになった。

わたしは経験していない。ありがたいことに、経験せずに大人にならせてもらった。そして、わたしの子どもたちにも、絶対に経験させたくない。

だから、聞く。そして伝える。伝えきれないことは、子どもたちが学べるようにサポートする。いつか、理解できる年になったら。


ある人は、「食べ物がなかったから、たぬきを捕まえた。空襲の時は、川に飛び込んで濡らした布団で頭を庇った」と教えてくれた。
ある人は、「そんな話はしちゃいけない。軍歌を歌うのもダメ」と。
別のある人は、「〇〇部隊にいた。戦闘機の運転は大得意だった」と話した。
いろんな人から、色々な立場から、色々なエピソードを教えてもらった。以外にも楽しかった話や、自慢話、嬉しい思い出も少なくなかった。

けれど、兎にも角にも、全員が口を揃えて締めくくる言葉は一つだった。
「でも、もうあんなことは起こしちゃいけない。平和が1番だよ」


終戦の日は過ぎてしまったけれど、毎年毎年、この時期になると特にこの話題が増える。後何年この話題を聞かせてもらえるだろうと、わたしは考える。話を聞かせてもらえる立場であることに感謝して、何かに活かさなくてはいけないと思う。

何をすればいいのか、まだわからない。わからないけれど、ただの職権乱用にならないようしっかり受け止め、話してくださった気持ちを大切にすることはだけは忘れないようにしている。


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