産後うつ記録:初めてのお産は里帰り出産を選んだ
*これははじめての出産から2年半も産後うつに悩んだわたしの記録です。前回の記事はこちらです。
第一子の娘妊娠中、わたしはすでにいまと同じ町に住んでいました。
実家は新幹線と在来線を使って6時間程度かかる距離。
しかも大型連休に混みがちな地域のため、盆や正月には帰らず、時期をずらして年2〜3回帰省する生活でした。
近所のクリニックで妊娠判定をしてもらったのですが、その際すぐに里帰りを希望したほど、当時は実家に帰りたい気持ちがありました。
それから約7ヶ月後、わたしは夫とふたりで新幹線に乗りました。
お腹は大きかったけれど、妊娠経過は初期の切迫流産以降ずっと安定しており、小旅行のような気分でさえいました。
新幹線の中で夫オススメの駅弁を二人で食べて、それがほのぼのと嬉しかったのを覚えています。
今考えると、そんな夫婦ふたりだけののんびりした時間は、なんて貴重だったのだろうと思います。
実家の近くの駅には母が迎えにきてくれており、久しぶりの実家に帰りました。
母がいてくれるからもうこれで安心だ、とホッとした気分と、翌日には夫は自宅に帰ることに対する不安とがありました。
母が比較的早産だったので、自分も早い可能性があるとドキドキしながら兆候を待ちましたが、待てどもくらせども来ません。
そのうち、大型連休に合わせてさらに有給を合わせて超大型連休にした夫が、実家に来てくれました。
出産予定日前から予定日後10日程度もいてくれる予定です。
夫が来たことで、父はなぜか張り切ってわたしたち夫婦を連れて、周辺の名所にあちこち出かけました。
おそらくは父なりの夫への気遣いなのですが、当時はいつ出産になるかもわからない身。
ここで陣痛が来たら、破水したら・・・と不安で仕方がありませんでした。
ここで問題なのが、わたしの父の性格です。
父は比較的他人にひどく気を遣うタイプで、上述したように夫にはいつも優しくリードします。
しかし家族に対してはまさに瞬間湯沸かし器のごとく突然キレ、暴言や無理やりな理屈でいい負かそうとするやっかいな人なのです。
特に自分の発言ややり方を否定(こちらはそのつもりがなくても)されたり、ないがしろにされるとめちゃくちゃに怒鳴ります。
そのため、わたしたち家族は基本的には言われるまま思考停止が身についてしまっているのです。
そんなわけで臨月の頻繁な外出についてもモヤモヤしながら、実家での毎日が続きました。
しかもわたしの不安のせいか、赤ちゃんは順調に育っていて安定しているものの、全く前陣痛も来ません。
周囲からの「生まれそう?」「そろそろ?」の声に、どんどん焦りがつのりました。
そして、この頃からわたしの中には一抹の不安が生まれてきたのです。
ーーーこの里帰り出産、間違いだったのでは?
この不安には他にも理由があるのですが、それについては次回にします。