インターで友達を作った方法 (英語ゼロ)

僕はスイスに住む高校1年生。インターに通っている。初めてインターに通ったのは2年半前、中国の成都。英検3級という思ったよりも役に立たない英語力で友達を作った方法をつたない日本語で紹介したいと思う。

ズバリ言うと僕がインターで英語ゼロで作った方法は「スポーツ」だった。いや、だ。だ。中国のインターに入って言ってることも全く分からない韓国人と中国人と英語で友達になるのは僕には不可能に近かった。幸いにもたまたま僕は少しスポーツが出来た。中休み昼休み、PEの時間とにかくスポーツをした。幸いにもみんないい人で、バスケの3on3やバレー、サッカーに誘ってくれた。インターの同級生と学校ですることで英語を使わないでコネクションを作れるのは僕にとってスポーツぐらいだった。スポーツ中、使う言葉と言えばhey,nice try, lets goo ぐらいだった。とにかくスポーツしかしてない英語ド下手くそ日本人として僕は少し知られるようになった。

スポーツで出来た友達と過ごしていく中で、インターにはスポーツシーズンがあると友達が教えてくれた。1stシーズンはバレー2ndシーズンはサッカー、3rd シーズンはバスケだった。最初そんなものがあるとも知らなっかた僕は、バスケのシーズンから入った。運動は得意でも、バスケを一回も真面目にやったこともない僕は、トライアウトでボロボロだった。当時僕は中学一年生だった。インターナショナルスクールでは7年生だった。インターの中学は6、7、8年生で構成されている。バスケの一軍はほぼ8年生で構成されて、7年生の中からは入れても三人である。その三人にバスケもしたことのない僕が入れることはとてつもなく難しい。そしてのちに入ることになる僕は今しれっと自慢をしている。トライアウトにはでかい先輩、バスケ本業の怖そうな中国人、韓国人がゴロゴロいた。トライアウトがスタートして僕は一つ大事な問題に気づく。コーチの言ってる意味がさっぱりわからない。トライアウトの中での僕は練習を理解していない素人日本人だ。冷静に考えてどんなコーチでも僕を選ばないだろう。そこで僕がした作戦を紹介しよう。
その名も「日本人丸出し大作戦」である。
1 でかい声で挨拶
2 走りまくる
3 ディフェンス命
4 質問攻め

この作戦は日本人の部活文化をインターの先生に丸出しにする作戦だ。まず日本といえば挨拶、これは日本人の権化である。そして走りまくる。テクニックも何もない僕にとって、ランニングトレーニングが唯一のアピールポイントだった。だから走りまくった。走りに走りまっくて爆速日本人になった。次にディフェンス。みんな経験者だったからみんなシュートもドリブルも勝ち目がないぐらいうまかった。トライアウトではみんなアピールするためにディフェンスはせずシュートばっか、ドリブルばっかだった。だから僕はそのかっこいいドリブルを泥臭い日本ディフェンスでとめまくった。そして極めつけの練習後の質問攻めである。バスケのわからない部分を聞きまくった。

そしてぼくはチーム選ばれた。

チームにはいって、順調に日本人丸出し作戦を継続した僕は大会のメンバーに選ばれた。インターのスポーツの大会は、その国の各地域のインターが一箇所に集まり開かれる。大会の場所は毎回変わるが、今回は僕のインターがあった成都だった。要するにホームゲームである。

大会中はホテルに泊まる。英語力成長のチャンスである。僕は毎日中休みバスケを一緒にしてくれた同学年のスティーブンと一緒の部屋にした。一日英語しか喋らない日はその日が初めてだった。日本語が少し恋しくなったが、学校より勉強などがない分会話が簡単だった。スティーブンはこれから僕の親友になる人である。

大会初試合、僕はベンチスタートだった。最初優勢で余裕があった僕らの監督はベンチに座っていたディフェンス日本人の僕を起用してくれた。コートに入った僕は完全にガチガチだった。人生で初めてのバスケの試合。何をしたらいいか分からなかったが、とりあえずディフェンスをした。ここで僕はあることに気づく。オフェンスの時何をしたらいいのか。ボールを奪った後に僕はまさかのコートの真ん中で棒立ちしていた。そしたらコーチが「under goal! get rebound」と言ったのが聞こえた。そし僕は同じチームのポイントガードにボールを渡してゴール下に直行した。僕のポシチョンはゴールしただったのだ。この時僕のプレースタイルは決まった。守って飛びまくる脳筋日本人である。

大会の中でチームメイトと会話して英語もいい感じに成長した。やることは分かってもまだまだ下手くそだった僕は数えれないほどゴール下のイージーショットを外しまくった。準決勝で惜敗した僕たちは3位決定戦に挑んだ。

第四クオーターにて最後の数分2点ビハインド。僕はゴール下でリバウンドを待っていた。たまたまボールが僕の方にバウンドした。僕は何回も失敗したレイアップを成功させて試合に勝利した。

ンターのシーズンの最後には決まって賞状セレモニーがある。賞状は四種類
1most offensive player
 2 most defensive player
 3 most improved player
 4 most variable player
僕はチームの中から2のmost defensive player の賞状をもらった。インターで始めてもらう賞状だった。スティーブンは7年生にして4のmost variable player を取っていた。上には上がいる

バスケ大会3位
15番が2年前の僕

そこから僕は7年生の英語ど下手くそ日本人スポーツマンとしてそこそこ有名になった。少し有名になった僕は前より廊下で話しかけられたり、同学年の友達ともっと仲良くなった。

「スポーツ」それは僕を助けてくれた僕に取っての唯一の方法。簡単な言葉だけで意思疎通出来る魔法の言語。

次は英語下手くそ日本人が生徒会に入った話を書きたいと思う


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?