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【自分さがし】より【自分なくし】

前回のブログの続きです。(最後の講義「みうらじゅんの幸福論」より)
みうらじゅんさんは四年以上かけてアウトドア般若心経というものを完成したのだとか。アウトドア般若心経という行為は町の中をあてもなく歩いて看板から般若心経の文字を探し写真に撮ってそれを組み合わせて般若心経を完成すること。この自分の足で歩いてつくる写経とも言えるアウトドア般若心経を通してみうら氏はあることに気づいたといいます。それは、例えば蜜という字は蜂蜜屋さんの看板から切り取ったもので、多は喜多方ラーメンの多なのだけど、ばらばらにすると単に蜜という字、多という字で、蜂蜜屋さんや喜多方ラーメンの意味はない。もちろん般若波羅蜜多も表さない。
みうら氏は講義の中でこう話してます。
『蜂蜜屋の蜜、喜多方ラーメンの多などそもそも違うことだったものをたまたまこうやって集めてみると般若心経に読めるという錯覚が起こる。これは「自分らしさとは何?」の自分ってやつにちかいもので、これはバラけると全く意味をなさないというか、この中のひとつの文字が自分で、そして一文字の自分それだけでは意味が成立しない。ほかの人との関係や環境も含めて自分が成立するんだと四年ちょっとかけてアウトドア般若心経を完成させて気づいたんだよね、空のことが。周りがあって自分っておもうんだよね。』
自分は他者にある。わかるようなわからないような、これは実際に体験しないと腑には落ちないのだろうな。自分だけでは意味をなさない。この自分ってどの自分?講義は続きます。
『井上陽水の夢の中へって曲知ってる?
探し物は何か?見つけにくいと考えたときに
見つからないということを悟って、それよりぼくと踊りませんか?
という【自分なくし】を考えた仏教的な歌なんだ。ぼくからしたらだよ。
視点を変えるというのかな。』
こういう話、わくわくします。楽しい(*^^*)
『一番最初に【自分さがし】というのを世の中的にアピールした人はビートルズのジョージハリソン。ジョンレノンやポールマッカトニーの天才集団の中で今一つ自分が頭角をあらわせなかった彼は、インドに渡ってマハリシヨギに師事してシタールを持って帰ってきたらしい。それからバックパッカーになってインドに行って自分を変えるみたいな人が増えた。でもそれはグルに聞いて何か付けてもらうという他力本願。それではお金払うだけで身につかない。それより諦める。諦めるは仏教用語で明らかにするという意味。明らめることはひとつひとつ罰点をつけていくこと。それは【自分なくし】という作業。そうやって、レーサーとかあこがれていたことを挙げていくと不可能なことがいっぱい挙げられることに気づく。どんどん罰点をつけていくと、なりたくないものだけが残った。それが今のこの仕事。それは【自分なくし】をしたからそこだけがぴかぴかって光ってきて、しょうがねぇなぁ、わさおもDVD買わなきゃみたいな(笑)』
と、【自分さがし】ではなくて【自分なくし】を勧めています。
ここからは【自分なくし】って何?質疑応答
(みうらじゅんさんのエッセイを読んだ青年から)
「若い時に自分の唯一のアイデンティティはロックであると思っていたと書いてあって、それでジョージハリソンに憧れて髪を伸ばし高円寺を日本のインドだと思って散歩したと読んだんですが、今日の話だと自分らしさをなくすということだったんですが、ロックって自分らしくあることとか自分の足で立つことなのでは?」
「そうでもないよ。ボブディランって今までのロックに情けない詩を書いた人なんだよ。で、すごいんだよ。それであの人はノーベル賞をもらってるんだ。ロックって女々しい気持ちも陽気なサウンドに乗せる革命起こした人たちなんだ。俺の思ってたロックってどこまでギリ自分のことをダメだったことを言えるかなってことだと思ってて、やっぱ隠したいことを表現することって誰もしないことだし。」
ええ!ロックってそういうことだったのか!すご~い!
知るというのは本当に感動で心がわくわくします(*^^*)
「自分らしさは本当に必要ない?」
「自分があるとね、面倒くさいですよ。ケンカって自分があるからケンカするじゃないですか。相手のことをふうんとかへぇって聞いてたらケンカはないのに、いやそれ違うと思うっていうの、自分ですよ。あれ要らない。自分って自分のためにある自分ではなくて、他人とある自分だと僕は思うんで、他人とうまくやっていけない自分なんて要らないから。
幸せに対して背を向けていたのが【自分らしさ】なんだ。
自分に対しては自分という奴はめちゃくちゃクソ真面目。自分においしいものを食べさせてやりたいし、自分の立場をよくしてやりたい。他人には不真面目でも自分には真面目で病気なんだよ。」
ここ、ポイントだと思うのです。この内容をその通りだと受け入れられるかどうか(できているかどうかではなくてです)。自分のためにある自分の自分らしさを追求(これが【自分さがし】)していると幸せから遠ざかるよ、【自分なくし】が幸せになる極意だよ、ということをです。
他人には不真面目でも自分には真面目で病気なんだよ。って耳が痛いです。
「自信というのはどういうものと考えていますか?」
「自信はないです。当然人間だから比較する。比較三原則って呼んでるんですが(笑)人間は比較して生きるから不幸になる。
比較三原則は①他人②過去の自分③親。この三つを押さえておけばってこれがほとんどなんだけど。比較してしまったり比較しそうになった時に「比較三原則」って口に出して言うとかなり違ってくる。実際僕は結構口に出しているみたいで、比較していないホームレスの人たち自由な人たちが近づいて来るのね(笑)こうすれば自信が持てるなんて得策もないってことに気が付かないと。自信満々なときって一番不安定な時だからうれしいときは小さい声で言うようにして、元気ない時こそ大きい声出すように心がけてるんですよ。」
みうらじゅんさんの幸福論、幸せの極意が笑いとともに散りばめられた楽しい講義でした。ありがとうございます。

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