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水野南北*福禄寿の思想④福禄寿
若井朝彦著 江戸時代の小食主義 水野南北の修身録を読み解く
第5章福禄寿の思想 読書録4回目
④福禄寿
「天照大神は太陽の神であって慎みを根本とする。したがって慎みを保つ者の身がさらに治まるようにと守って下さる。
春日明神は少陽発達の気を持っておられる。冬至の後に鳥掛の神事が行われるのはそのためだ。立身出世を助けて下さる。
八幡宮は未陽の終わりを司り、いのちがふたたび生まれてくることを促して下さる。殺伐の気をはらみ万物が滅んで土に帰ろうとする仲秋に放生会の神事があるのは、それに憂いを思われるから。したがって万物を費え、物の廃れることを嫌う。だから慎みを守り万物の費えなさざるものに高貴と延命を与えて下さる。」(修身録4-4)
これが水野南北の福禄寿に対する考えです。(福禄寿などの体系については以前のブログ①神儒仏をご参照ください)
ここで南北は、天照大神が太陽の神、つまり陽の気そのもので、春日明神は陽の気が少なくなってきた冬至の頃それを補ってくれる役割があり、八幡宮も未陽の終わり(夏の終わり)に関わってくれ再び春にいのちが生まれてくるのを促してくれると言ってます。つまり春日明神も八幡宮も太陽のエネルギーが人々や自然に行き渡るようにお手伝いしてくれていると南北はいうのです。天照大神は南北にとって特別な存在だということが読み取れます。なのですが、説明が丁寧で長いのが八幡宮について。あと福禄寿という並びも気になります。天が与えてくれる寿命というものを得るには、順序があると言いたいのだと思います。天照大神は慎む者を守ってくださるといいますが、何を慎むの?ってなりませんか?福禄寿の順番なのだとしたら、まずは福を得ることから始めてみるということなのかと。南北によると福は八幡宮(仏教と関わりあり)に由来します。そして八幡宮は万物を費えることつまり無駄遣いや物を粗末に扱うことを嫌うのだから、食を慎むことはもちろん日常生活を送る上で物、電気や水などの資源を大切に使うことで福を与えてくれるということなのでしょう。その次に禄(給料)を得ることを考える。儒学の五常(*)の実践ということになるのでしょうか。そうして儒学と関わりの深い春日明神は立身出世を助けて下さり、禄も授かると。福→禄ときたら最後は寿。つまり天から与えられた寿命がながくなるということ。
ヨーガスートラでは心は作り手といいます。
南北は神道(目に見えないもの、命)と儒学(目に見えるもの、肉体)の中間に仏教があるといいます。命と肉体の間にあるもの、心でしょうか。つまり食を慎むことで心が変化していくということだと思うのです。心が変わることで生き方が変わる。そして長生きして幸せに繋がるのだと。
このように私なりに水野南北の福禄寿の思想を理解しました^ ^
*五常とは仁(思いやり)、義(正義)、礼(秩序)、智(智恵)、信(言行一致)のことで、五常を悟るとは利欲にとらわれず、なすべきことをすること。