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生まれる生きる死ぬ

昨日も書きましたが
父の余命宣告を聞いて体が本当に動けなくなるくらいのショックを受けたのに実際に目の前で父が息を引き取ったとき、自分でもびっくりするくらい普通だったのです。生から死になるのがあっけなく不思議な感覚でした。がんばって言葉にすると生きていたころより近くに父の存在を感じるので肉体として会えなくなった事実と合わさって変化なしということなのかな?と。何より辛そうな闘病生活から解放されてよかったという気持ちがいちばんだったかな。もう会われへんのかぁと時々寂しくなりますが、人の命は空からでて空へ戻る、光の中に還っていくのだと信じているので私の中の父の命は光に溶けて次の準備に入ってるのです。これが真理かどうかは問題ではないのです。そう信じている私はその世界に生きていて、父は父の信じている世界を生きているはずなのです。ややこしいですかね(笑)
どういうことかというとですね、この目に見える肉体がすべてで死んだら何もかもすべて終わりって信じている人(Aさんとします)はそういう世界に生きる。でも人の本質は目に見えない生命、魂の存在で死んだらまた生命、魂に戻ると信じている人の世界ではAさんは何千年も眠り続けている人として存在して見えるということなのです。
どんなふうに生きたいのか、自分のための自分の願い(おいしいもの食べたい、人によく見られたいなどなどキリがない欲望)ではなくて、他者とともにある自分の深層部にある本質の願いに気づけたら、それを実現するために何を信じて生きて行くのか定まります。
みんな違う世界を生きています。星野源さんのばらばらです。ばらばらだけど、自分の生き方を無理に押し付けないで、自分のための自分を少しでもなくしながら関わりあってともに進んでいくのがいいのかなと思っています。
思いやりを持って。
言うは易し行うは難しですが、自戒の念を込めて。


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