南泉斬猫つづき
昨日の南泉斬猫の続きです。
公案を教えてくれた同朋によると
どうやら、南泉和尚は弟子である趙州に自身のダメなところを見事に言い当てられてしまったということらしいのです。もちろん公案なのでその人その人の答えはあって然りなのですが。
ということは初見の読みというか直感が当たってたということなのです(当たってたという言い方は正しくないか)。なのですが、掘り方が浅かったf^_^;というのは、南泉和尚はどういう意識で弟子たちに「禅の一語を言わないと猫を斬るぞ」と言ったのかということに考えを及ばせることができるか、それがミソなのです。南泉和尚は言い争っている僧侶たちは禅の一語くらい言えるだろうから、というか私の弟子なら誰か1人くらい言えるはずだ、という気持ちだったのだろうと想像するわけです。わかりやすく言うと、お母さんが「宿題しなさい、しなかったらゲームを捨てるよ」と、こう言うたら宿題するやろうという気持ちで言っているのと同じということなのではないかなと思うのです。要するに脅しというか自分の思う通りにしたいというコントロールです。この他者をコントロールすること私もやりがちです。思い通りにならず怒ってしまって自己嫌悪(苦笑)まさに頭に草鞋です。南泉和尚もまさかの弟子たちが一語も言えないという非常事態、しかし言った手前、後に引けなくなってしまって猫を斬った。禅僧にとっての殺生は堕落以外の何ものでもなく後悔極まりなかったことでしょう。その罪の意識はゲームを捨てたお母さんの比じゃないはず。そんな状態で、趙州が頭に草鞋を乗せたのです。「ああ、今日おまえが居てくれたら、猫の児も助かったものを」と言った南泉和尚はどんな気持ちだったのでしょうか。まだ猫を引きずってグダグダだったのでしょうか……。
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