
写真やムービーって…
写真やムービーを見ると当時の感情とかその場の空気感とかよみがえちゃう。写真って嬉しい時だけ撮った方がいいと先日教わったけどなるほど、そうだよね。
誰にとってもしあわせなものなら嬉しいけれど。見る人のその時の立場や状況で同じ1枚が嬉しくもさみしくもなったりするし、にんげんってコロコロ気持ち変わるからその時の気分でも見方が変わる。
文章は読みかけて止めることもできるけど、写真や短い動画は一気に心に入ってしまうもんね。
誰かや何かに憧れても、その人のほんとの涙や喜びはわからない。
じぶんがわかるのは、じぶんの機嫌と半径数メートルの人のなんとなくくらいのこと。時に自分の本当の感情だってわかんなくなったりするもんね。
好きなものを食せたり安全に出かけたりできる自由だったり。誰かを笑顔にしたり、何かの役に立てたなあって時とか。空の色がきれいで風が心地よかったり。 ささやかだけどおっきなしあわせって感じてること。
こんな風になりたいと勝手に願ってた理想系みたいなものを
誰かが体現してるように見えたら、いいなーとかすごいなーって一瞬憧れるかもだけど、それ自分が実際にできるのか、またそうなってみたら本当に幸せなのかまでわかんないし。
じぶんの好きなものを日々撮れたら、表現できたらしあわせ。
いまはそう思ってる。
ちゃんとじぶんでいたい。
こうありたいっていうのがあるならそこに向かってちょっとづつでも歩めればいいし、いやになって後ろ向いたっていいし方向転換したっていい。
よく知らない誰かを無駄に気にする余裕なんてホントはないんだよなー。
バランスってむずかしい。表に出続けることの大変さってたぶんにあるはず。
人の目に晒されるのはタフなことだと思う。人って知らない人には残酷なこともあるから。そしてバックヤードにはバックヤードの語られない苦労もある。
人がそれぞれに、まずはじぶんのことをちゃんと大事にできて
生きていけたら、きっとほんとはいろいろ平和なんだよなあとふと思った。
仕事と趣味は責任とか全然違うかもだど。
それでも、好きなものを自分で撮ることができて、楽しみながら精進してゆけるってしあわせなことだよね。
それはきっと写真だろうと、別のことだろうと一緒かもしれないね。
生きてくって、楽しくて、時々やっかいで、でもいとおしい。