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頑固にギフト
母の日と父の日、時期を逆にすることはできませんか?
カレンダーを見ながら、誰に向けてか問いかけている。
そしたら、存分にお手本を見せつけてあげられるのに。
ほら、感謝ってこーんなふうに伝えることができるよ~というふうに。
母になって10年になるけれど、我が家においての母の日の存在は薄い。
旅行に行ったことがある国の、創立記念日くらいか。
ある国に旅行に行った思い出の、その年月日くらいか。
子どもが小さいうちの、母の日のありようはパパの手腕次第と聞く。
夫は、母の日というイベントについて
全然意識がない
→うっすら気づいたけどどうしたらいいかわからない
→何かしたほうが良さそうだけどアイデア皆無
→正直ちょっとめんどくさい
→こういうことすればいいのかな?と思っても恥ずかしい
→正直やっぱりなんだかんだめんどくさい
→さすがに良くないかと思い、絵を描くよう子に提案するも完成に至らず
という変遷をたどっているように分析している。(わたし調べ)
夫の実家への母の日あれこれは、もちろん夫ではなく、私発信。
そういう感じの夫だから、息子たちになり替わり、
母の日イベントを計画実行するなんて。
どうにも難しい案件なのだろうな。
それでも毎年、ちょっとだけ、
新時代が始まることをふっと思い浮かべてしまう。
「母の日だからケーキを買いに行こう」
数年前、めずらしく言われた。
うれしかったけど、なんのことはない、自分たちが食べる分も嬉々として選んでいた。
いいのよ、いいんだけどね。
そんなふうにさらりと過ぎゆく母の日。
その一か月あと。
父の日はやって来る。
こちらとしたら、一か月前の状況に気を使い、
準備しにくいのなんのって。
してあげたいことはある。
パパいつもありがとうって、家族で伝えたい。
でも当てつけみたいになってしまわないか。
子どもには、
人を大切にして、気持ちを伝えられるようになってほしい。
そう思っている私は、父の日の仕込みを放棄できずにいる。
*
母の日、こうだったらいいなの図を想像する。
絵やお手紙なんてもらったら有頂天である。
次男が幼稚園で描いてきてくれた絵が、今年の貴重な母の日関連のお品だ。
かわいすぎて泣いたし、即日飾った。
うれしかった。
お花もうれしい。
私には昔から好きな光景がある。
母の日に、パパと子どもがお花を買って嬉しそうに持ち帰っているところ。
その姿がほほえましくて昔から大好物だ。
あぁ、かわいいなぁ尊いなぁと思う。
しかし、そんな光景も、数年前より、憂いのトリガーとなった。
あんなふうにお花を準備してもらえる人はいいなぁ…と
思うようになってしまったからだ。
つらい!
何かモノが欲しいと思っているのとは、違う。
親子で「ママ喜ぶかなぁ」と悩んでほしいんだ。
ほんとに憧れている。
*
そんなわけで今年は幼稚園のおかげで、絵をいただけた母の日。
対する父の日はどうするか。
夫にしてみたら、スルーしてほしいくらいなのかもしれない。
母の日プレッシャーを感じるくらいなら。
いっそ、そういうイベントなしにしようよ、が本音かも。
でもなぁ、その方向に合わせる気にならないんだよなぁ。
ありがとうって言い合うほうが、しあわせだと思うから。
めぐりめぐってその結果。
今年は、ベタな贈り物をしようと決めている。
いやがらせであり皮肉である。
もう決めた。
かねてより、新調したかったハンドタオルを2枚購入。
ちゃんと父の日ラッピングを頼んだ。
それに加えて、息子たちにメッセージカードを作らせようと思っている。
SNSで見かけた、引き出すと、絵に模様が入るしかけのカード。
子どもたちにも、
こうやって、手を動かして、アイディアを出して、
気持ちを伝えるんだよと教えるつもり。
かたくなに気持ちを表現してくれない人には、
こちらも頑固で行こうと思うのだ。
プレゼントを贈る頑固さ。
贈らない頑固者へ愛を込めて!!である。
父の日、覚悟したまえ!
この作戦の落としどころは今のところ不明です。