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ガラクタ/ aiko

ふとシャッフルで流れた ガラクタ/aiko
聴いていて、本当に心が苦しくなった。
そんな私のただの個人的、解釈です。

出だしの歌詞から

もうとっくの昔に自分で迷い込んだ 
あの時甘い蜜がどうしても欲しかった
手に入れた君の無邪気は
たまに壊れないプラスチックのコップみたいに思えた

きっと甘い蜜になってくれた君は、自分にとって精神を安定させるような存在だったことが、コップに例えられて表現されている。私は普段プラスチックのコップをどう扱っているか思い返してみたら、割れないことを頼りに、割れるコップより雑に扱っていたなあ、と思った。
この歌のわたしも、君をそんな風に無意識に悪気なくそう扱ってしまっていたのだろうか、とも。

サビの歌詞の

君はいまもちょっと自転車に乗って逢いに行けるような
近い場所で生活しているんだね 誰かと

切なすぎる…。「会う」は対面することや、一般的な言葉として使われ、「逢う」は大切な人や、愛おしい気持ちを感じる時に使われるそう。まだ君に対して愛しい気持ちが残っていることを、この2文字で表現するaikoっぷりに心を掴まれ離れられず。

後半の歌詞の

気持ちをどこに書いて心を何にこめて
笑顔で表す想い 見失ってしまった

この歌詞から、きっと気持ちを書き綴ること。なにごとにも心を込めて生活すること。そんなことを当たり前にできていた私だったんだろうな、と思って胸が痛くなった。
そんなことを当たり前にさせてくれるような、素敵な君でもあったのかな。


ありふれた失恋ソングではなくて、aikoの一曲一曲には、その曲に存在する彼らの日常や、生活の風景が垣間みえる。
だから名曲と言われる曲が沢山うまれて、長く、広く、多くの人に愛され、心の奥深いところに届くのだろう。

ただ音楽を愛する21歳の女の、個人的解釈でした。

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