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将来の夢はピアニスト #2021.09.16(木)

写真は私です。
今は休学中ですが、私の先生が開いた発表会で
思い出のあるドレスを着て出た時の写真です。

3歳から始めたピアノも気づけば20数年経っていることに驚きと時の早さを感じます。
3歳でピアノを始めました。家にある電子ピアノに興味を示していたことがきっかけでした。
今の実家に引っ越しを機に、現在の先生にレッスンをお願いしてます。

3歳から15歳まで
「将来はピアニストになる!」
という夢は変わりませんでした。
ピアノの練習が出来るよう地元の中学ではなく、私立の中学に進学し(中高一貫校)、部活はやらず学校終わって帰ったら練習という毎日を過ごしていました。
部活に打ち込み、友達と出掛けたり、恋したり…そんな青春はすべてピアノに捧げたのです。
小学生の高学年から中学3年間まで、とあるピアノコンクールで大忙しでした。
低学年の時もコンクールに出ていたけれど、訳分からず出ていました。
高学年になって賞を取るようになり、先生達の中で有名になり、先生が受け持つ生徒さんたちから私が弾いた曲を弾きたいと言い出す子も多かったようです。

中学2年生では同い年の子とペアを組み、初めての連弾。
私はソロも出場しながら、連弾でもコンクールに挑みました。
なんと全国大会まで進むという事を成し遂げたのです。
先生に"最優秀指導者賞"を初めて送ることができました。
連弾の練習もしながら、ソロも本選出場決まっておりその練習もしなければならない。
土日はソロの方でピアニストとして活躍する先生のレッスンに通っていました。2〜3人の先生にお願いしていたと記憶してます。
ちょうどグループで仲良くなった友達が何回も遊びに誘ってくれるのですが、行けず申し訳なかった気持ちも覚えています。私の予定に合わせてくれ、1回だけ遊ぶことを許してもらいました。
仲良くしてもらっていたけど、友達よりピアノという毎日を過ごしました。
もちろん合間を縫って勉強もしていました。
うちにあるピアノはグランドピアノなので弾けない時間帯は勉強というような1日のサイクルでした。
防音対策はしていたものの、近所に住む方々のご理解があったから練習することができた。とてもありがたいことです。

高校はエスカレート式で上がれるので高校受験はありませんでした。

これまでの10年間に転機が訪れたのが中学3年生でした。
これまでお世話になっていた先生のレッスンを辞めて、本格的に音大に向けてのレッスンの為、とあるピアニストとしても活躍する先生の下でレッスンを受けることになったのです。
頭では理解できても心が追いつかなくなってしまったのです。
ずっとレッスンしてくれた先生を辞めるなんて私の中ではそんな選択肢はなかったのです。
完全に辞めなくてもたまに、習いに行けばいいじゃんと説得されましたが、それでも受け入れることが出来なかったのです。
やがて心身共に体調崩し、持病である喘息の発作がひどく3年生ではほとんど学校に行けませんでした。
大きな修学旅行でさえ行けませんでした。
今に思えば、この時からうつ病を発症していたのではないかと思います。

学校すらもいけない状況で、ピアノも練習どころではありませんでした。
何度も話し合い、最終的に出した結論は音大に行くのを諦めることでした。
音大の為のレッスンをする必要がなくなり、元からレッスンしてもらっていた先生に引き続きお願いすることになりました。

私の中で絶対に後悔しない自信があったのです。
小学生、中学生とピアノ漬けでやってきた日々に多少の疲れや逃げたい気持ちもあったと思います。

それでも、私の人生の中でどんな事があっても
ここまでの大きな後悔はこの先ないだろうと言っても過言ではないくらい、大きな後悔をしました。

先日、アップした『私のおじいちゃん』きっかけで薬学部に進むと進路を決めていました。

(ブログはこちら↓↓↓)
https://note.com/mapian_cist/n/ncc3662ff2b29

しかし、ピアノも諦めきれず
戻れないか両親に相談しましたが、金銭的な問題等で不可能でした。
諦めきれない気持ちを持ちながら薬学部受験し、今は薬剤師になることができました。
今でも諦めきれていません。

薬剤師として2〜3年働き、お金を貯めて音大に行くと大きな予定を立てていましたが、
うつ病を発症してしまい、難しくなってしまいました。

音大には行くことはできませんが
ピアノは私にとって宝物には変わりないので
この先も先生にレッスンお願いしながら、ピアノを続けていこうと決めています。
何があってもピアノは辞めません。諦めません。
たとえリウマチが悪化したとしても。

長くなってしまいましたが、
終わり。

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