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中学の娘 アメリカへ行く(4)
娘 滞在3日目。
今日は トレーダージョーズやスタバでの
ショッピングでキャピキャピした後に
国際連合本部に行っているようだ。
ジャンルに幅がある体験で有難い。
今日は娘について少し掘り下げてみようと
思います。
https://note.com/mapamapa/n/nadd1ed8a2a5c
↑でも少し記述したように
とても 芯があり度胸がある。
幼稚園の時、
一輪車をするときも
鉄棒をするときも
小学校の長距離の歩き登校も
筆箱も6年間1つをボロボロになっても
使いきった。
小学校6年の時はバンジージャンプ
秒で宙に舞っていた(笑)
(この詳細は別の機会に♪)
これと決めたことは
基本できるまで投げ出さず
とことん取り組む。
ただ一度、友達関係で挫折。
苦手と思う友達から距離をおいて
相手のご家族、学校からいじめと見なされ
苦しむ時期があった。
で 少し触れている。
確かに一度 娘は関係から逃げて痛みを味わった。
でも そこからの巻き返しは本当に
大人でもなかなかできない程に
自分に向き合い、娘はさらに強くなり
変わっていった。
もちろん 愛犬の存在は大きかった。
一緒にサウナに行ったとき、
サウナブームの昨今
いわゆる 「整う? 調う?」を
二人は体験した。
身体がなくなってしまったのだ。
ただ心地よいとは違う。
私たちは抵抗がなくなり
首から下が存在していないような体験をした。
私たちはどうなってしまったんだろうと
思うくらい!!!
ホントにびっくりしたΣ(・ω・ノ)ノ!
その時、既に娘は問題を乗り越え、
誰よりもその友達と仲直りでき、
学校は別だが、今もlineで繋がっているようだ。
サウナでの体験の時
娘が「サウナに入るまでは冷たかった水が
サウナ後に入った後の水は心地良いというか
抵抗がない。
これは人間関係も同じ。
自分が変わらなければ 体験する世界は変わらない。
自分に抵抗があるから相手とぶつかる。」
と 静かにつぶやいていた。
私はもう この子は何があっても大丈夫だと確信した。
いじめの件では 当時
娘は相手からも学校からも
加害者のような扱いを受けていた。
でも、私は 苦しむ娘を見て
被害者でもあると感じていた。
友達との距離をおいたのも、
自分を守るためで、限界がきていたのだ。
だからといってこちらも被害者と主張しても
解決はしないと私も娘も感じていた。
つまり 被害者と加害者は同じもの。
両者に抵抗があるかないかの問題だ。
自分に抵抗があるからこそ、他者との分離感を感じる。
原因はお互いにある。
では 他者を変えずして解決するには
自分が変わるしかない。
サウナの現象もそうだ。
内と外の温度が差があるとき、抵抗を感じる
内と外の差がない、つまり抵抗がない。
これらは受け入れることに相当する。
更に解説すると。
影響を受ける 他人の目が気になる、抵抗がある。
は 結局 自分の観念=自分の体験する世界。
つまり 他人の目=自分の目 なんです。
自分が自分をどう見ているか、
制限しているか、決めつけているかに注目。
自分が自由自在になると
同時に他人の自由自在を見ることができるので、
自分の振る舞いに制限を外すと、
同時に他人の振る舞いが気にならなくなる。
抵抗がなくなる=他者や問題を受け入れた
を意味する。
娘はそれを自ら体現した。
自分の体験する世界のルールを
自分で創造していたことに気づきます。
逆に 他人の振る舞いに自分が反応した時は
自分の持つ観念に気づくチャンスですね。
外す、外さないどちらでもいい。
常に選択は個人の自由。
いつでも自分で決め直しができるおまけつき♪
ホント愛の詰まった優しい世界ですよね~💖
自分が変わるとは、
自分を否定したり自分の考えを抑える
という意味ではありません。
むしろ、どんな自分でも受け入れるから
選択は∞という意味です。
だから同時に他者も赦す世界になるのです。
娘は自分と向き合い、問題を問題とせず、赦し、
受容できたから
同時に他者と向き合うことから逃げず、受容できた。
そして、これは私自身の問題でもあった。
子供たちを条件付きで見ていたのは私自身だった。
自分を条件付きで見ていたのも私自身だった。
これは 愛犬なずなが教えてくれた。
子供がまだ小さい頃は無条件に
たまらなく可愛いだけで過ごせた。
幼稚園に入ったころから
将来子供たちが社会の中で生きていくことを
意識するようになった。
恥ずかしくないように、
迷惑かけないように、
社会の役に立つように、 など
”しつけ”という制限をかけていった。
これが娘を苦しめた本当の原因だ。
「~をしてはいけない」
「~のほうがいい」
といった呪縛。
娘らしさを失わせていっていたのは私自身でした。
心配も…
娘を信頼してなことになる。
それに気づかせてくれた
愛犬 なずな は
私たち家族の 恩人ならぬ 恩犬です✨
なずなを見ているだけでカワイイ。
なずなは働きません。
お金を稼ぎません。
好きな時に好き放題 吠えます。
お金もいっぱいかかります。
ご飯、おしも など いっぱい手がかかります。
でも、我が家にはなくてはならない存在なんです。
ただカワイイ。愛おしい。
子供が赤ちゃんのときのように。
あるがままで赦せるのです。
ではなぜ、
人になると色々条件をつけてしまうのだろうか?
と考えるようになりました。
子供たちは 本当に
社会に役に立たないといけないのか?
経済的に豊かでないといけないのか?
道徳的に正しくないといけないのか?…
次から次へと問いが湧いてきました。
答えは 完全にNO でした。
居てくれる だけでいい。
存在があるだでいいと。
それに気づいた時は涙が止まりせんでした。
ではどうやって体現できるのだろうか?
そして 自分の意見、考えは
我慢しないといけないのだろうか?
自分はどう?
私は自分自身に条件を付けていたことに気づきました。
私はチビでブスで役立たずです。
お金も今は稼いでません。
よく両親や兄弟に笑われていました。
今もです。
悔しかったですが、否定はできませんでした。
その通りだからです。
でも、ここで大事なのは
その考えを採用して自分をそのような扱いを
していたのは私自身だったことに気づいたのです。
私は自分を自分自身で貶めていたのです。
私は自分自身を条件づけて見ていたんです。
同時に無意識に子供たちや外の世界のことも
同じように見ていたのです。
人は自分の確信と扱い方と同じことしか
他者に見たり、扱いができない仕組みが
あるのでないか?と思うようになり、
自分自身で実験していきました。
(詳細のエピソードは長くなるのでまたの機会に)
この気づき依頼
子供に対しても外の世界に対しても
誰が何と言おうと
どんどん自分の中で問と実験を繰り返しながら
条件を外していきました。
私の世界は激変しました。
今はユートピアです。
今も笑われたり、否定されたりしますが、
それはその人の世界、体験であって
私の世界ではないのです。
なので、気になったり、引きずったり、
正義の押し付けをしたるすることがなくなりました。
分かってもらいたいなどの承認欲求もありません。
自分が自分の一番の親友、パートナー、理解者だからです。
子供たちにもしつけというコントロールを
しなくなりました。
ありのままでいいと肚の底から思っています。
世間に冷たい目で見られても平気です。
自分の感情を抑え、譲るのではなく。
本音を出しても
抵抗なく 子どもの意見が受け取れる
ようになっていきました。
今は余計な制限などなく
肚の底から毎日かわいく、
愛おしいだけなんです💖
だから、アメリカに行きたいと
打ち明けてくれた時も
全信頼でいいよ♪ と即答できました。
私は自分と自分の世界を
全信頼しているので。
不安、怖れが起きた時も
その感情を否定しません。
まず向き合い、感じて、自分がどうしたいかを
自分に問います。
必ず 自分の正解の答えがあると
信頼しているので。
だからといって、他者に
この考えを押し付けるつもりもありません。
その人にはその人のタイミングや正解があるので。
子供には子供の正解があるので
押し付けたりはしません。
でも 考えが違う時は本音で話します。
お互いに遠慮もしません。
矛盾、抵抗が生まれた時は
自分の本音ではないかもしれません。
自分を尊重すると、
自然と他者の意見も尊重できます。
もちろん今でも違う考えの方もいます。
でも押し付けたり、否定という感情はでてきません。
お互い尊重し合い、できる方法を探します。
見つからない場合は
同じ場に物理的に存在できなくなるのです。
自然と縁がキレたり、引っ越したり。
私の中にはもう闘いがないからです。
闘いたい方は闘っていいと思います。
でも私はもう闘うことはありません。
これらの記事も押しつけではなく
こんな考えもありますよ という
提案、シェアなんです。
だから理解されたい、承認されたい、
スキがほしいとは違います。
響く人にだけ響くことを知っているので。
(今でいうブロックチェーンみたいな仕組みが
ナチュラルにあるからです)
言葉が溢れてくれから紡いでいるだけです。
自分がやりたいから
自分にやらせてあげてるだけです。
平和でも平和でなくてもいいのです。
どちらでも、何でもいいのです。
闘いたくない人は巻き添えになる心配はありますか?
NOです。
必ず、自分の中に抵抗があるからこそ
その抵抗、条件に気づくまでは
闘いの体験は終わりません。
全て全て自分で解決できます。
湧きおこる行動をただ信頼して行動するだけです。
自分は解決できる力があると信頼するのです。
赤ちゃんも動物も植物も地球も宇宙も全て。
自分に沿った世界が展開し、体験していきます。
解決できないと思う時は、
経過の途中か、気づいてないか、
自分と自分の世界を信頼してないか、
自分で 自分を
被害者、弱者と貶めているかです。
解決現象のパターンは大きく2つ
物理的に問題がなくなるパターンか
自分が問題とせず、気にならなくなるパターン
どちらで表現されるかは
受け取るときのお楽しみ♪
信頼して受け取り、
次の選択、方向性を決めることが
私たちの唯一できること。
起こる事象がニュートラルにただ在るだけなんです。
同じ事象、情報を見ても
反応する人と 反応しない人がいるのは
その人の中にどんな抵抗があるかによるのです。
自分の世界は自分で創造できます。
それだけ自由意志が尊重されている
面白い世界に私たちは存在しています。
(そもそも存在してない可能性も含め)
娘は今日はたくさんのお土産を買って
アップしてくれました。
まだ旅は始まったばかりですが、
貴重な体験がたくさん!
しっかり楽しんでいるようです(^^♪
娘の存在が私の本音で生きる力を
引き出してくれました。
息子と私を助けに来てくれたのは本当だったようです。
(二人が幼少期のエピソード)
息子の話もおいおい。
思いのほか長くなってしまいました。
最後までお付き合いいただきまして
有難うございました。