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freewriting#1:YAUにて

(↓10分)
ばしょについてずっと考えている 交差点ということばはしっくりくる いまのところ しかしそもそも言葉は私にとってきゅうくつなので言語化はすきではない 瞬発力がない、正確には ことばはそれ自体がもついみが型となって周辺をそぎおとすから ただ ことばそのものはすきだ でも時間がかかる みつかるまでは あたまにうかべたい だから えや色の表現を好んでいる つまり何がいいたいかというと セルフテーマも交差点も一時的な言語化であり仮おきである 私のイメージ とくにことばは単語を並べる方が伝わりやすい気がしている 交差点とは流動的で可変
的な、自然発生的な結果としての空間である 遠心 求心力 両方ある 人がいき交い とどまり 去る 何かが残り空間の味つけをする それは発展するかもしれないしきえるかもしれない まざりあい まざりあいきれないものがあり とけあうものもあり それはみんながその空間をとおりすぎる みんなにおこることだと信じている ただし強いることはない 抽象的で概念レベルの共通言語はある それをたぶんほとんど人はさがしている やり方はたくさんある

(↓10分)
くせってあるんだなー 内容よりも文字のかんじとか書き方とかがたしかにと思って 句読点ないはそうだな 気づいてなかったけど きれいにまとめたくないのだろうか おそらく.
セルフテーマに話をもどしてみると やり方はたくさんある そう だ まずは 同じ 共通 ことばがでてこない どんなに複雑化 専門化しても みんな なにかにつきうごかされて.  なにかというのは ポジディブじゃなくてよくて むしろ そんなもんにつきうごかされるというなら うそだとすら思うが とにかく人はつくる つくることをしている つくる ※※※※※※※※※ 何かをあらわそうとすることだ そのつくるという行為にちりばめられた あれこれが共通言語だ ちなみに共通言語ということばも しっくりきていない さっきよりもことばがでてこない.   まだ人にはなそうとしていないからだ 仮おきもできない状態だ くるしい 数字はいつもくるしい ことばよりもあいまいさがないからだ 伝わりやすい、媒体だ しかし わかりやすい 表現には危機感をおぼえている すべて発信者の責任にするのはおかしい 表現はコミュニケーションだ 受け手のうすっぺらさに迎合する表現がきらいだ わかんないのが ふつう ふつうもちがう わからないものなはずだよ 本当は 受け手の責任だ いま lineの通知がきた 「にて」の英訳は何か at?around?

(↓10分)
つくるとは何なのか 何なのかというより私はどうとらえているのかについて.<極論>すべての行動がつくることである それその場合はgenerateも含めてである それをcreateとよぶこともある が イノベーションとよばれるものは再生成再結合か ちょっとこれをかいていて不安はある あまりにもぎろんされていてこわい なぜつくることを考えているのかというと つくる場所つくるという行動がおきる場所について思いをはせているから.その仮おきがさいしょの交差点である ゼロになり はだかになったとき つくりはじめられる ゼロになることにことをもたらすのが 交差点でのまざりあいだと思った いまのところ.思っている というか私はそういう場所がすきだ ひかれる ひっぱられる感覚がある カオスがすきだ はだかになれるから だから.そうすると、つくりたくなる 私は みんながどうかしらない でもこういう言葉のられつで通じる 言語(wordsにかかわらず)が共有できる人がいるから ひとつの提示をしたい 問いかけたい そして 私が表現するときはわかりやすくしたくない 具現化しすぎないのが心地よい そのかわり 受け手と対話をしたい そういういみでは ただの展示というのは<つくり手として.>無責任だ

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