母(68)と私(38) 大航海のはじまり
今日はこの数年ここに書きたかったけどなかなか書けなかったことを書きます!
いつか発信しようしようと思いつつなかなか出来ず4年経っちゃいました。
思い立ってからやるまでにこんな時間がかかるなんて。あるあるですよね。
いやもしかしたらコレも発信しないかもしれない。
そんなこと4年間休まず考え続けて今に至ります。
脳みそちっこいのにバカです。
とはいえこんな思いを抱えながらのここ数年はすこし苦しかったです。
お母さんのこと書きます。
元々お母さんってかなり変わってたけどいよいよアレ?おかしないか??と思うものがあり、今からおよそ4年前に病院に連れて行きました。
(はじめは何科に行けばいいのかもわからなかった ウツかな 脳腫瘍かな 認知症?って。。。神経内科に行きました。)
色々調べたらあっさりと若年性認知症と診断されました。 目の前の景色が変わりました。それから私は認知症のこと勉強し始めました。
どうやらアルツハイマーでは無さそうと思った頃、自分で調べて行き着いた名古屋の先生に診てもらって「前頭側頭型変性症(前頭側頭型認知症ともいいます)」と診断してもらいました。
詳しくはその中の「意味性認知症」という名前の脳の変性症です。
今のところ記憶系はけっこうしっかりしてるけど名詞を中心に言葉が出てこなくなる脳の変性症です。(母は左側頭葉に萎縮が大きく見られます)
大きく分けて4種類ある認知症の中で1パーセント。
(国内の患者数12000人。これからもっと増えると言われているが、今はまだマイノリティです)
数々ある認知症唯一の指定難病であり治療法も治療薬もまだ見つかっていません。故に現在、これからまぁまぁ長くなると思われる介護生活に備えるため、色々な制度上で取得できるものを必死で取得中。(障害年金、指定難病医療受給者証、障害者手帳などなど)
この難病の詳細についてはまた書きたいと思ってます。
そもそも人間は脳の10%しか使えてない とか言うし 潜在能力とかもめっちゃ隠れてるし 脳の世界、すっっっごい面白いです。
未知なる可能性感じる。
一人一人それぞれ持ってる無限なる可能性。
日々一緒にすごしていると、母の状態も色々と変化がありできないと思ってたことができたり、面白いです。
とはいえ大きく見るとどんどんできなくなっていくことが増えるので複雑な気持ちにもなったりします。
いちばん悲しいのは
どうせ覚えて無いから
って思われてしまうこと
たとえ私が忘れてしまっても
みんなは覚えててほしいし
もし忘れてしまっていたらできるかぎり何となく思い出させてほしい
全て忘れてしまってもだいじょうぶだよ、
私たちがいるからだいじょうぶだよ、といつまでもずっとそばでいっててほしい
どんな病になっても、どんなときもどんな世界でも みんなとつながりを持てて自分らしく生きれる世界であってほしい
この世界は私が思っていたより優しい世界であってほしい
4年前から私は奈良に住みながら鳥取の母のところを行き来しつつ、母の近所に住む叔母やデイサービス、ヘルパーさん、見守りカメラなどの力を借りながらなんとか通いで介護していました。
たまに溺れそうになりながらも手探りで必死でした。
2020はコロナで感染者の少ない鳥取には入ることがなかなか出来ず、私は奈良から見守るしか無く不安と心配のストレス貯金をしまくった一年でした。「しょうがない」って言葉何回使ったか、、、。ほんまなにしとったんかよくわからぬ2020でした。だけどそれあっての今でございます。自分が病気になってしまうんじゃ無いか、と思うほど苦しかったです。当たり前ですが不安と心配は毒です。
2021年明けて私が1年ぶりにお母さんのところに来たタイミングで、ちょっとした事件?もあったりしていよいよ一人暮らしはもう無理だということになり、予期していたとは言え まーまー突然に鳥取生活が始まりました。
自分の人生と母の人生。
母に代わって母の人生の舵取りをするということ。
そんなとき急に母の人生までも背負い込んだ気分になり足取りが一気に重くなってしまう、、、
とにかくいろいろ考えすぎた私は
今は「風にふかれて」ここにいます。
考えて覚悟して決断なんて、出来ないという答えに今は落ち着いてます。
この状況下では立ち続けることがもはや精一杯。
それでも自分はよくやってると言い聞かせる事にシフトしました。
そうすることしかできませんです。
考えすぎる自分も認めたった。
(だって優しいんだもん汗)
お母さんが自分の人生を生きてきたように私も私の人生を生きる。その中でお母さんをいい感じに適当にコロコロ転がせば、いい。
思わぬ?ところで思いっきり自分の人生見つめなおしてます。
でも今お母さんといるこの時間は自分の人生にとってもとっても必要なことだと強く思っています。
自分の人生を輝かせるためにここにいることを選びました。
母にもそれに協力してもらうつもりで一緒にいます。
とはいえ弱気になったり心細くなったり何度も何度もきた道を振り返ってしまいます。
だけど自分の中の大きな何かが
これでよかったんだよ これからだよ
と言ってくれてる気がするのです。
はぁやっと言えた。
スッキリです。多分。
ずっっっっと発信したかった。
ただそれだけです。
あぁ大変だねーぐらいでちょうどいいです。
褒めてもらいたい、とか全く無いです。
「お母さんのためにエライ〜!」とか、そんなの全然要りません。(美しいもんじゃ無いんで。といっても褒められて伸びるんですが。どっちやねんあーややこし。)ほどほどにしてください汗
あと、無理しないで、頑張らないで(制度のことは金絡んでるんでめっっっちゃ頑張ってますが!)、楽しんでって
暗示のように刷り込んでるんで。
全然大丈夫じゃ無いときもあるし、大丈夫な日もありますが
もっともっと力つけて母との生活を少しでも明るく照らせたら、と思っております。
そして今しかないお母さんの時間と私は一緒にいたいのです。
病名にこだわるつもりはないけどよかったら病名ググってみてください(意味性認知症)。
こんな人もいるんだって知ってほしい。
介護話とかもっとしたいです。
もしこの投稿みて わたしも介護(高齢者、障がい者etc含む)やってるよ!って方いたら是非是非ぜひ!繋がりたい。
あともうすぐ介護始まる〜とか 終活したい方とか!自分はマイノリティだって思うひととか。
もうね、そういう人たちとめっちゃしゃべりたいっす。つながりたい。
今はいましかない。
人生で今一番刹那的に生きてます。
そして母も私も元気です!
これを機に色々発信していきたいので
こんな私と母ですが、どうかたまに思い出して(というか忘れさせないぐらい発信していきたいと思ってます)どうぞなにとぞよろしくお願いします。
そしてこんな乱文長文最後まで読んでくれたあなた、ほんとうにありがとう。
母と私の大航海の始まりです。
船に乗り込んだ!(思ってたよりデカい船だったかも?!)どこまで行けるかわからないけど行けるとこまで一緒に行こう!
いざ!大海原へ!出航!!!
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