コロナになって考えたこと
コロナ禍になってから4年、家族全員がコロナに罹患した時も罹らずに踏ん張っていたが、ついに罹患してしまった。
それほど高熱ではなかったのと、寝てると色々考えてしまうので、それならと、コロナ罹患3日目に、考えたことをつらつらと書いてみることにした。
それにしても
さあ今日から夏休だぞ!っていう時に発症してしまうところ、
ほんと仕事人間だなと思って少し凹む。
お盆と夏休が、ほんの少しずれていたので
かかりつけ医にすぐ受診できたのは幸い。
38度越えの熱を出しながら、
自転車で10分爆走して通院した自分を褒めてあげたい。
爆走の勢いで熱が飛んだのか、病院に到着したときは平熱になってて
医者に怪訝な顔をされたが、即陽性反応が出て、対処療法の薬をもらった。
「これから熱また出ますからね!」
と言った医者の言葉通り
熱は37.5〜38.5の間を行ったり来たり。
頭痛のターンと発熱のターンが交互に来た。
寒気がしてくると
「発熱のターン ドロー」
って遊戯王の曲が頭の中にながれて
ばかじゃん、と笑った。
そうでもしないとやってられない。
2日目の終わりぐらいから、喉痛のターンもやってきた。
3日目には熱は収まったが、喉痛のターンが続く。
幸い味覚はそのままで、嗅覚は普段からアレルギーで使い物にならないので、それに関しては困らなかったが、薬を飲み始めると必ず口の中がまずくなるのが嫌だった。これは子供の時からずっとそうで、胃薬意外は大体どの薬でもなる。酔い止めですらなる。そして最終的には胃の具合が劇的に悪くなるのだ。
今回もその方程式は崩せそうにない。 辛い。
隔離も3日目ともなると家の中の様子も心配だし、無駄に気を揉む。
ふと見た流しのそばに、ゴミ袋が積まれていて、思わず見ないふりをした。なるべく家族と接触を避けたいので、食べたいものもすぐには食べられない。
夫は家にいるが、いるだけ。
人はいいのだが、自分から進んで動けない
わたしにも
「何かすることある?」
と聞くのだか、頭痛いし熱もあるしで考えたくもないから、
何もしなくていいと答えてしまった。
しかも、常に冷蔵庫の前のテーブルでパソコンを使っているので、冷蔵庫に非常に行きづらい。
対して長女は
「夕飯お粥なら食べられる?血糖値上がるから野菜つける?」
と割と具体的に質問してくれるので答えやすい。
色々メンタル壊れて大変な子だったけど
人に寄り添える優しい子に育ってくれたなぁ。
娘とはLINEで接触せずにやりとりできるのも助かった。
夫はガラケーで、LINEのやり方も知らないから・・・・
でも熱でうつらうつらしながら ふと
子供の頃病弱で寝込むことが多かったわたしに
母は何も言わないのに、
わたしの大好きなものを、次々持ってきてくれたことを思い出した。
焼いて焦げ目をつけた梅干しが入ったお茶
デルモンテのトマトジュース
冷たく冷やしたトマトの輪切り
心配そうに覗き込みながら、
喉越しの良い食べ物を持ってくる母の顔を思い出し
「ああ、もうあんな風に魔法のような看病をしてくれる人はいないんだ。」
と思って、ちょっとめそっとした。
コロナで心が弱ってたのねきっと。
母の魔法の手は、今は私の手になったんだよね。
自分で自分はうまく抱きしめられないよ。
コロナが治ったら、また夕飯持って実家に行こう。
もうわたしのこと、ちょっと忘れちゃってるけど
わたしの顔見て無邪気に笑う母に会いに行こう。
そしてとりあえず、トマトは夫におねだりしてみよう。
説明するのめんどくさいけど。