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自分史【行動編】


パーソナリティ編はコチラです。


・BGMは加藤ミリヤ、20代前半

いろんな職業を転々と変えつつ、保険証もないので何かあっても病院にも行けないようなその日暮らしをしていた。家にある程度のお金を入れておけば寝る場所には困らなかったから出来たこと、だと今は思う。
家族が嫌でたまらないのに、そこから抜け出すことが面倒で思考停止していた。結局、それも共依存だったのである。
遊んでいても、毎晩飲み明かしても、クラブに入り浸ってても、何にも満たされない。まとも(とされる)な恋愛もできないし、何かするのも面倒になると夜中にひとりでフラフラ歩くことも多かった。何度か怖い目に遭うと、根がビビりの私は夜中に歩くのをやめた。

ある日、家を出ていた兄が諸事情で帰ってきてしまうことを知らされる。弟は学校も行かず働きもせず引きこもっていて、夜になるとのそのそ起きてくる。全員が揃うこともほとんどなかったし合わせたとしても会話もなく、ピーンと張りつめた空気の家の中は居心地が悪いどころじゃない。
お金のこと、弟のこと、兄のこと・・・母はあらゆる愚痴を吐き出してくるので、相変わらずのサンドバッグ状態。私がいないと生きていけない、と。
たとえば、
神社仏閣に行ってまずお願いすることは「お母さんが幸せになりますように」だった。自分の願い事なんてまったく思い浮かばないし、考えるだけムダだと本気で思っていたから思考停止はおそろしい。

・分岐点が目の前に

家族も仕事も恋愛もなにもかもドツボにはまってお先真っ暗のときにふと、何かヒントがほしい占ってほしい、と、近所の有名な占い師のことを思い出した。当時の私は占い好きだったけど、鑑定してもらったことはなかった。はず。半分すがるような気持ちで自転車を飛ばした。

このときに言われた、覚えていること。

「○○家の男は全員ダメ」
「最終はあなたが母親を見ることになる」
命盤を見せてもらうと男を表す部分に全部バツがついていたのである。
「まるごと受け入れてくれるような優しい人と出会えたら結婚できる」

最後に教えてもらった、まるごと受け入れてくれる人というフレーズ。私なんかに出会えるはずがないと思って半分スルーした。
しかし、このときの占いをきっかけに私の頭の中では、複雑な化学反応が起こっていった。あんなに思考停止していたのに、あわただしく動き出していくような感覚。
そして、占い後に会った友達からのふとしたひとこと、「自分の人生やで」にとどめを刺される。
一気に自問自答の荒波が脳内をさらっていく。

このままずっと家族に囚われ続ける???
お母さんのために犠牲になったと思いながら生きていくの????

いやいや、無理でしょ。自分の人生を生きたい。

素直な気持ちが見えてしまったら、もう進むしかない。今、動き出すしかない。
興味はあったけどそのままにしていたリゾートバイト。条件に合った内容をすぐさま探し出す。なるべく遠くへ行かなければ。

採用が決まるとともに勤務先に退職を伝え、急すぎて職場の方には迷惑をかけた。
けれど。
もう、とにかくこのタイミングじゃないと一生このまま動かないことは分かってたので押し通したかった。
最大の難関は母に伝えること
顔色をうかがって、地雷をなるべく踏まないように生きてきた自分にはかなり勇気がいった。怖かったよ、めっちゃ。

「来週から遠くでしばらく働いてくる」
・・・ここから出発日まで無視攻撃が始まる笑
母の得意技だったので、もう仕方ない、と諦めて手紙を残し、愛犬に行ってきますを告げて家を出た。
細かくは覚えてないけど、
自分の人生を生きたい。と手紙に書いた。



・検証のほどは?

今こうやって過去を振り返って書き出しているのは、このときに勇気を出して決断して行動したから。
自分で考えることから逃げ回り、家族に縛られていると思い込んでいた人生は本当に苦しかった。
分岐点は間違いなくここだった、と言える。
行動して今にどうつながるのか、現在編に書いていこう。



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