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21日間の21の間——「インディゴの気分」視覚テキスト分析(第20の間と第21の間)

作者 Maomono
翻訳 sekiisekii

第20の間 再びのバーにて


第一話の冒頭と同じ新月の空ショットが、視聴者を思い出から現在に引き戻す。こうして物語は現在の時点に戻る。二人の男は東京のバーで、だらだらと話を続ける。このシリーズはここまで書き、山登りでたとえば、山道の困難な部分はすべてクリアし、見事に頂上にたどり着き、壮大な風景を見ることができた。その後、二人の関係は砂走りみないに、まもなく平地に戻る。ただ、これ以上の驚きと喜びがないと思い込んだら、いきなり流砂にはまり、ゆっくりと、やさしく、抜けられなくなる。 

木島は指でグラスの中の氷をかき回し、思い出に耽る様子。さっきの回想は彼の思い出と思わせるが、ドラマの主体のナレーションが城戸で、城戸の回想のことだとも推測される。というのは、今度の飲み会が二人の思い出を引き出し、さっさと略して述べられた別れの部分は、二人とも避けたい部分のようだ。木島にとって、この思い出の最も辛い部分は、城戸が結婚して子供を産んだことに違いない。そう思うと、悔しくてももう変えられない過去から抜け出し、無理やり現在に戻ろうとする。しばらくして、木島はさりげなく娘は元気と訊ね、「名前何だっけ」と憎まれ口をたたく。「何回言ったら覚えるんだよ」と城戸が突っ込むと、「ふふ、あんまり覚える気ないから」と本音を吐く。城戸は怒ったのようでグラスを置き、灰皿の脇に置いてあったタバコを手に取り、気弱そうにふかす。木島の覚えられないわけが分からないではないが、子供が二人の間でのもう一つタブーになったことを、はっきりさせようともしない。

木島は城戸彩花が生まれた直後から長いスランプに陥っていた。大人が子どもと張り合いをするというのは不思議なことだ。木島の彩花に対する態度を少し振り返ってみよう。「ポルノグラファー」の第六話の未収録シーン(DVD収録)にはこういうものがある。会議室で打ち合わせをしていた城戸が木島に子供の写真を見せた。当時、木島はまだ順調に仕事をしていたが、そのことで強い孤独感を感じ、その後1年ほどスランプを迎えた。「インディゴの気分」トークイベントで、俳優の竹財によると、当時の木島として、城戸の行為を見て思ったのは死ねということだそうだ。「ポルノグラファー」の第三話で、スランプに陥って自己放棄している木島は久住に城戸のロック画面を見せて、また酔った勢いに乗って、城戸は立派なパパになって「えらいえらい」と連発した。結婚して子供を持つのは平凡な生活なのに、どうしてえらいと評価したか。木島がえらいと思ったのは、城戸が自分の気持ちを無視してお見合い結婚して子どもを作ることで、二人がいろいろ経験しても、木島は平凡な家庭生活に負けたから。「ポルノグラファー」の第三話では、城戸を引き留めるために木島は酔った勢いで城戸を甘えて「お父さん」と呼んだ。自分を彩花と同じ位置に置くことによって、城戸の少し注目を得ようとした。木島は城戸の結婚を予想したことがあるかもしれない。「インディゴの気分」の第一話で城戸が結婚の意欲を口にした。自分のために一度それが破談になった以上、木島は城戸の結婚をそれほど恐れない。しかし、彩花が誕生すると、城戸の関心が子供に移っていき、木島の気持ちも考えずに幸せそうに赤ちゃんを見せることで、木島はようやく分かった。もう「平凡な家庭生活」に勝つことはできないのだ。いくら城戸を求めようとしても、倫理的にも、父親を必要とする子供と城戸を争うことは許されない。名前を覚えないことで、木島は最後の些かな抵抗をしている。彩花が生まれて二年も経つが、木島は城戸との別れを気にしていると城戸に注意しているのだ。

木島が黙っているのを見て、城戸は話題を変える。子供が城戸の急所といえば、木島の急所は新しい彼氏だろう。久住が金持ちだろうとからかい、「おとなしく養ってもらえば」と言う。城戸は木島が久住との同居は決して愛のためではなく、生活が保障されるからだときめつける。木島が否定すると、城戸は「何で」と問い返した。彼からみれば、木島は依然としてわがままな人間であり、このわがままな人間は自分以外の誰にも耐えられないからだ。城戸の目をみつめる木島は、久住の帰りが遅くて仕事に困っていることを教える。城戸にとても似ている。(第二話では、木島は城戸に「遅かったねえ」と言い、城戸は木島に相談があると心配そうな顔をするのを思い出してください。)「お荷物にならないように僕も仕事を頑張らないとね」という言葉は誰に言っているのだろうか。それを聞いた城戸は嬉しいやら悲しいやら何やら、複雑な気持ちを持つ。

いったい二人はなぜ別れたか。城戸が抱えている社会観念のほかに、木島が城戸に頼りすぎることが、彼の脱出を加速させたのではないか。早送りの別れ話で、城戸が電話を切ったことに木島が怒鳴るシーンがある。当時の木島は、病人みたいに、終末期が近づいているとわかっていても、苦しみに苛まれ、そのために病みつきになり、城戸を追い詰めていたのではなかろうか。(傍証として、「ポルノグラファー」の第三話では城戸は木島に振り回されていたとのセリフがある)。

いまの木島はかつての城戸との関係から成長し、自分のわがままが城戸に負担をかけたことを知っている。木島は「僕だって」と自分の欠点を認め、何気なく城戸に謝り、これからは久住の支えになりたいという。付き合いによって成長しているというメッセージを城戸に伝えるのだ。素直にならないことが二人のコミュニケーションの癖になる。久住の支えになりたいと口にする木島は、城戸の不機嫌そうな顔を横目で見ながらも、顔を向けない。城戸にとって、成長している木島はもはや自分のものではないから、悔いがあってもしようがない。灰皿の中でタバコをもみ消す。驚くことに、「ポルノグラファー」ではタバコをやめたいいお父さんの城戸は、木島とのバーでの会話の間、タバコを八本も一気に吸った。

どちらも未練のある二人の男は、言葉のキャッチボールをし、時々相手の心に一本の棘を刺しているが、今ではほとんどの時間で、その微妙な距離感を保つ。お互いを忘れることはできず、離すことはできず、それ以上近づくことはできない。付き合いの日々はやがて川のように流れ去っていき、互いの得体の知れない関係だけが沈んでいる。

では、第21の間で。

第21の間(最終の間)ま、た、ね


「第20の間」を書き終わった昨晩、寝つきが悪かった。泣きながら最終の間を書くと思ったが、もう一度ドラマを見ると、すこしほっとした。この物語はHE(ハッピーエンド)ではないが、けっして通常のBE(バッドエンド)でもない。

「第二の間」に書かれた「未遂キス」を振り返ってみよう。「ポルノグラファー」の後の木島はもう純潔無垢な「クリスタルアップル」ではないと書いた。城戸との間の、そもそも素直ではない交流はエスカレートし、死ぬほど難解になる。そこで、城戸の本音を知るために、木島はタクシーの中で酔っ払って城戸を試して、例の未遂のキスで確信を得た。城戸はまだ彼のことを気にしている。断られた城戸は恥ずかしさと自責の念に苛まれる。タクシーという密閉された空間に、木島が到着するまで気まずい雰囲気が漂う。

木島は城戸に礼をいう。「今日はありがとう」。「ポルノグラファー」の第六話で、城戸は木島に東京にきたら奢ると言った。そこからすれば、二人で飲んだのは城戸の奢りに違いない。木島を久住のアパートまで送った城戸はひどく落ち込んで、淡々と答え、木島にきちんとさよならをも言えない。車を降りた木島はわざわざ振り返る。それは第一話で城戸が木島を家まで送ってから、木島が二、三歩歩いてまた戻ってくることと呼応する。第一話では、木島は城戸に自宅に泊まるすすめをしたが、木島を家まで送った城戸は、連絡先などを求めなかった。木島が一泊を勧めなければ、続きはあり得ない。そう考えると、今回は何のためだろうか。さらに見ていこう。木島は城戸の隣の車窓を叩く。東京に戻ってまず自分の担当編集者・親友・昔の恋人と久しぶりに会って、がっかりのまま久住の家をノックするのはなく、ちゃんと別れを告げるのだ。いつものように木島は「城戸君」と呼び、軽い口調で「さようなら」と言うが、城戸はどっしりしている表情で彼を見ている。この時の城戸は木島の「さようなら」が二人の過去との別れを意味すると思う。バーで木島が新しい恋を始めると宣言し、またタクシーでキスを断った。城戸は、木島が振り向いて新しい生活を始めるのではないかと思い、何も言えなくなる。が、木島は「ま、た、ね」とゆっくりと音節を吐き、言葉の遊びのようなものが再び始まると予告する。「また」というのは「また会いましょう」の暗示だ。ここで、さっきの疑問の答えが出た。木島が振り返ったのは、やはり城戸を留めるためです。彼は城戸を自分の人生の中に留めようとする。

城戸は頭を下げてしばらく考えてようやく今度の別れが二人の関係の終わりではないとわかるようになる。すると、彼はその相変らず愛している顔に振り向いて笑いながら、涙を浮かべて、いつものようにいろいろ聞かせる。それが儀式のようになっている。「何かあったら、いつでも連絡しろよ、無理はするなよ、身体に気をつけて、元気で」。それは木島の馴染む優しさだ。自分が生活を取り戻した時(第二話)も、蒲生田の看病に付き添った時(第五話)も、スランプに陥った時(「ポルノグラファー」の第三話)もそうだ。これらのごく簡単な言葉に含まれた城戸の優しさは何度も木島に慰めを与えていた。それを聞いて、木島も愛する人の顔をちゃんと見つめる。城戸の目に浮かんだ涙と、彼の抑えがたい愛に気づく。ふたりはもはや恋人とは呼べないが、二人の絆は断ち切られない。如何に呼ばれても、この関係はつづく。二人はそれほど互いの生命に嵌り込み、どちらも実際に手を離すことができない。木島は城戸の「また」に素直に応じて、このラウンドの言葉遊びを終える。これは最初から最後までの二人らしいコミュニケーションで、それで誤解をしたり、傷ついたりしても、キャッチボールを繰り返すうちに、二人はお互いの相性がよくなっている。

木島はようやく安心して踵を返す。一方、城戸も木島を完全に失ったのではないことを心得る。勢いで、城戸は、出発しようとするタクシー運転手を引き止め、急いで下車する。木島を取り返して彼から確信を得ようとするか、または、自分はまだ向こうを愛していることをはっきりさせようとするか。ただ、遠く地面から木島が二階にある新しい恋人のアパートのドアのベルを押して、若い男の子は木島を迎え入れるのを眺めている。その瞬間、城戸はわかるようになる。当時木島が家庭を選ぶ自分を止めることができないように、今度自分も新しい生活に入る木島を止めることができない。あの男の子は自分の元恋人をしっかりと抱く。城戸は、しばらく木島に近づくことができないことを悟る。彼はようやく深い苦しみを味わい、それが人生の選択の代価だとわかる。木島への愛は小さな炎のように消えず、彼の心を炙り続ける。彼の選ばなかった人生の道には熱愛と波乱万丈の景色があるのに、選んだ選択はもう取り消せない。人生のもう一つの可能性は永遠に彼を苦しめて、この悔は彼の人生の中で最も深い憂鬱=インディゴの気分に化す。そしてこの二人の心残りが視聴者の心にも深く焼きつく。

しかし、物語はここで終わっていない。エンディングは城戸と木島の再会や知り、愛し合い、言い合い、和解、葬式での結びつきまでの過程を振り返ってから、久住が木島にコーヒーを注ぐシーンがクローズアップされる。久住は、木島が上京して他人に会うことに少し不安を感じながら、「城戸さんどうでした」と二人の様子をうかがう。木島は「うん、変わらず」とそこそこに答える。久住は明らかにその答えに納得しておらず、その不安から木島に城戸との関係の説明を求める。「唯一の友達ですもんね」と久住は注意深く確認する。木島は言葉に詰まり、上目遣いに久住をちらっと見て、「あいつぐらいかも」と答える。これも曖昧な答えだ。曖昧な言葉に慣れていない若い男の子は、木島が何を隠して怪しいと素直に指摘すると、木島がにっこり笑いだす。どうしたのと聞かれて、ついさっきキャッチボールをもう一度やったばかりの木島はコーヒーを置き、その場から逃げてコートのポケットに入れていたタバコを取り出す。それは城戸と一緒にいる時吸ったタバコだ。強いて言えば「腐れ縁」としか言えないが、城戸にまだ愛されている木島理生は口元を押さえてくすくすと笑う。


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