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21日間の21の間——「インディゴの気分」視覚テキスト分析(第十の間と第11の間)

作者 Maomono
翻訳 sekiisekii

第十の間 タクシーでのキス



今度はタクシーでのキスをとりあげる。その美しさは、単に言葉で表現することはできない。さすが制作グループが4時間以上をかけてようやくとれたものだ。

木島が蒲生田の要求を満たし、蒲生田は翌日に来いと言い出す。帰りのタクシーの車内、木島と城戸はそれぞれ複雑な思いを抱くこのシーンは約1分半の固定ショットの長回しから始まる。カメラは車外から車の後部座席に向かって、窓の外を眺める木島の顔にピントが合い、木島の心理に気をつけるようと注意している。また、視聴者はぼけている城戸の顔を同時に観察することもできる。通り道の明かりが窓ガラスに反射し、木島の無表情な顔を一つずつ横切る。二人は無言のままだ。ついに、城戸がさきに沈黙を破り、二人は対話を始める。

このシーンのセリフはどれほど少ないかというと、全部聞き取ってみたら次のようだ。

城戸:なぁっ
(3秒間の沈黙)
城戸:なんで?
(7秒間の沈黙)
城戸:なんであそこまでやったの?
(8秒間の沈黙)
木島:なんでって…
(沈黙3秒)
木島:君が言い出したことだろう。
(8秒間の沈黙)
城戸と木島:さきのことはさぁ、お互いに忘れようぜ。変態老人のパワハラにつきあっただけで…
(17秒間の沈黙)
城戸:木島?
(10秒間の沈黙)
木島:どうだった?
(4秒間の沈黙)。
城戸:え?
(3秒間の沈黙)
木島:さっきの…

二番目の固定ショット(キス)が終わるまで、二人は再び会話を交わすことがなく、城戸の回想のナレーションだけがある。「第一の間」で分析したように、沈黙は意味のないものではない。言葉と言葉の間には聞こえない感情が流れている。このシーンで特に面白いのは、城戸は蒲生田宅の出来事の決め付け(変態老人のパワハラ)以外、まとまったセリフがないということである。言葉は感情の触角のように、未知で曖昧な感情領域を探っていく。私はこの場面で各発言の時間間隔を以上のようにメモした。読者も秒を数えながら黙読して、沈黙がもたらす時間的な緩みを感じてください。

この対話の中の沈黙について簡単に分析してみよう。まず、城戸が最初の「なんで」とそれに対する補完の「なんであそこまでやったの」の間に7秒の沈黙がある。なぜ城戸が言いづらいか。前のシーンでの城戸のナレーションから、彼の気持ちは非常に高揚していることが分かっている、それは生理的な快感だけでなく、心理的な快感も含まれている。木島は城戸のかつての憧れだ。城戸にとって、木島の動機は彼の理解範囲を超える。高慢な男である木島はなぜそんなことをしたか。そのことで自尊心を傷つけられたのかどうかを知らないため、なかなか口にしにくい。

木島は眉をひそめながら、君が言い出したことだろうと言い返す。彼は直接に城戸の質問に答えるのではなく、城戸の要望に重点を置いている。この時点の木島は自分の尊厳を考えていない。「第九の間」で見られたように、木島はなにか決定をする際には合理的な思考をする。ただし、あれを終えた後、彼は自分が恋に落ちたことに気づく。車の中にいる木島は混乱している。頭の中は城戸のことでいっぱいで、自分の尊厳すら考える余裕がない。愛情は高熱のようなもので、人を冷静さから遠ざけてしまう。

城戸は木島の表情が見えないから、木島が怒るのを恐れて、急いであれを変態老人のパワハラと決めつけ、お互いに忘れようとすすめる。その後、このシーンで最も長い沈黙が現れる。途中で城戸が木島を呼びかける一言を除き、27秒の間、視聴者は木島の表情の変化から木島の心境を推測するしかない。彼は最初に目を伏せ、少し悲しみを表す。あれは君にとって重要じゃないか。でも君も興奮していたじゃないか。その心の中のセリフはそうであろう。木島は城戸のきめつけを肯定も否定もしないが、車が走るにつれて、そのまま放っておくわけにはいかないと言わんばかりに首を左右に振りながら、城戸のさっきの言葉を否定したいという強い気持ちが露わになる。木島は城戸が自分と同じ気持ちをもっているかどうかを確認したがるので、感情に任せて口を開く。城戸はその質問を聞いて驚いた。もしかしたら、木島が……しかし、木島の表情が見えるまで、城戸は答える勇気がない。彼は木島が顔を向けてくるのを待っている。

答えを得るために、木島はついに視線を車窓から城戸に向けた。1分半も続く車窓の外からの長回しが終わり、二人に対面する新たな長回しが始まる。木島の表情を見た瞬間、城戸はわかる。彼は木島の頭を抱き寄せ、顎を木島の額に押し当て、このポーズを13秒間も保つ。言葉がなくとも、二人は呼吸と動悸を共有する。カメラの向こうの視聴者は、二人の側面のクローズアップショットを通して、恋人カップルの誕生を見守る。木島は頭を上げ、城戸をじっと見る。その視野は恋人の顔だけが見えるほど狭い。そこで、世界が一瞬静まり、スクリーンの内外にいる全員が息を止める。まるで動きが止まったかのような世界全体には二人の近づいていく唇だけがある。車の後ろの温かい金色の光が徐々に消えていく。双唇が触れ合う音とともに、BGMが再び響き、視聴者にもう呼吸していいよと注意する。さっき消えた金色の光が城戸の眉のアーチを描き、また木島の顔に光を投げかけて、恋に落ちた木島を映し出す。

城戸のナレーションによると、その後の記憶はあいまいだそうだ。しかし、城戸を演じた俳優の吉田宗洋がその瞬間を一生忘れられないだろう。愛と美のようなイデアは、このような瞬間に具体的な形を見せるのである。それらは性別を超え、温かい心を持つすべての人に世界にある偉大なる美しさへの憧れを呼び起こす。

「タクシーでのキス」の美しさは言葉を超えている。もし「第十の間」を読んでも感動されないなら、私は素直に自分の筆力が足りなく、その美しさの万分の一でも表現することができないと認める。この絶世の美で始まった恋愛がどんな嵐に変わっていくのか。

また次の間で。

第11の間 激しい一夜



今回は「タクシーでのキス」の後、二人の最初の濡れ場をざっとみて、翌朝までの部分を選んで分析する。

本文は濡れ場を詳しく分析しないが、やはり「インディゴの気分」の濡れ場の撮影に触れたい。特に冒頭の「テーブルドン」の演出(ミザンセーヌ)は素晴らしいと思う。演出という言葉はフランス語の「mise en scene(ミザンセーヌ)」から来ており、直訳すると舞台の配置にあたる。演劇や映画では、役者、場所、置き物、照明、カメラの位置、空間の奥行き、画面の質感、衣装、ヘアメイクを含む舞台に置かれ、画面を通して視聴者に見せる全てのものを指す。あるシーンのすべての要素を調整することで、視聴者の注意を引きつける。

演出は長回しにとって、とても重要な部分だ。長回しは後から編集によるカット割りなどを行わなく、そのため、視聴者が画面のどの部分に注目するか、またどの順番に注目するか、監督が制御することができないから、演出家はすべてを、視聴者が最終的に画面で見えるものとして計算的置かなければならない。演出はまさに、細部重視の芸術である。

テーブルドンのシーンを例にしよう。城戸が木島を引っ張ってマンションの玄関に入ってくるところから、カメラは二人の動きに合わせて微かに上下に移動し、城戸が木島のコートを脱いでテーブルに押しやると、テーブルの上にある道具のインスタンコーヒーやカップラーメン、タバコがすっと突き落とされ、机の天板がきれいに片付けられる。立ち上ろうとした木島が再び押し倒される時、玄関の明かりがこのシーン=舞台の唯一の照明となり(ちなみに、斜めに照らしてくる角度は典型的な舞台照明のやり方だ)、斜めにテーブルと二人の役者を照らして、特殊な明暗のコントラストを作り出す。一方、画面の左のキャビネットのガラス戸は鏡の役割を果たし、シーン全体に特別な舞台のテンションをもたらす。同時に、カメラはゆっくりとプッシュ·インし、クロースアップし、視聴者の注意を二人の間に高まる情熱に集中させる。視聴者はキャラクタターと一緒にドキドキしてしまう。このシーンから生まれるドラマチックなテンションをご自身で感じてください。

さて、もう一つの長回しに入ろう。ナイトテーブルの上の灰皿のクローズアップに続き、80秒も続く長回しだ。

このクローズアップでは、二人の吸い終わったタバコ六本と、それぞれの箱とライターが出てくる。その中、城戸のものだと思われるある吸殻が完全に消されていないようで、青い煙が出ている。カメラはナイトテーブルからゆっくりとベッドにいる二人に移るが、前の濡れ場のシーンと比べると、このシーンはすぐに重い雰囲気を作りだす。嵐の後のような静けさのようだ。タバコについては別文で詳しく分析したので、ここでは割愛する。ただ一つ、ナイトテーブルの設置について補足する。ナイトテーブルの隅にはタバコのほかに、目覚まし時計(四時前を指している)とミネラルウォーターのペットボトルと木島の眼鏡が置かれており、かなり長く、体力を消耗した一晩だったことを示す。三本ずつタバコを吸ったにもかかわらず、背中合わせに横向き寝をしている二人は眠れなかったようだ。特に木島は。
木島は振り返り、十秒近くためらってから沈黙を破る。彼は城戸にさっきのことは何か、と尋ねたがる。二人は情欲に動かれ、一線を超えてしまい、それまでの友達としても、または仕事のパートナーとしてもしないことをやってしまったので、これから二人の関係はどう定義すればいいか。木島は城戸の今日は無理かという言葉──それは城戸が次はあると考えていることを示しているのではないか、と噛みしめている。そこで木島は、城戸の行為が、友達としての偶然の逸脱なのか、それとも自分と同様に強く、しかし漠然とした思いがあるのかを確認しようとする。もし後者であれば、木島はそれをはっきりさせるつもりだ。彼はとても文学的な表現を使う。「今日は無理って言ってたけど、明日なんかあるのか。」ただ、その際の城戸は寝たふりをしてその質問から逃げる。彼の思考は煙のように変わっていて、あるともないとも答えられない。その不確実性を木島に押しつけた結果、木島の不安はさらに高まる。木島は起きて城戸が本当に眠ってしまったのかどうかを調べ、その謎の霧を抱えたまま夜の虚無を見つめる。

次のシーンは翌日城戸が目を開けるという動作にクローズアップされ、その背景に早朝の鳥の鳴き声とドアの開閉音が流されてくる。木島は城戸に挨拶もせずに出かけていくのだ。城戸はその物音で目を覚ましたが、木島がもうそばにいなかったので、まずナイトテーブルを調べる。木島の眼鏡がなくなっている。それからリビングのほうを見て、それから起きて書斎を調べる。このマンションの持ち主がいないことに気がつくと、急に部屋ががらがらだと感じさせる。

昨日、城戸が玄関付近で脱いでいた城戸のカバーは壁にぶら下がっている。昨日城戸が玄関の靴箱の近くに捨ててあったバッグはソファの上に置かれている。そして整理済みの机から、木島が一晩眠れなく、複雑な気持ちで早く起きて片づけをしたと推測される。また、木島は目が覚めた城戸と顔を合わせる気まずさをも怖がる。なんといっても、その前のタクシーで、城戸は「さっきのことはお互いに忘れようぜ」といった。もし彼が再び、お互い忘れようと言い出したら、木島はどうしたらいいかわからない。それより、早く逃げたほうがまし。ここは「ポルノグラファー」の第四話のプロットと対照的になる。似たような一夜がすぎて、若い久住がさっさと帰らなく、木島が昨夜のことを忘れよう、とあっさりと言う。忘れようと言うほうは、往々にして、より大人のほうなのだ。

ついに、城戸はテーブルでペットボトルの下に置かれたメモを見つかる。ボトルについている水滴がまだ落ちていないことから、城戸が起きて喉が乾くのではという木島の配慮で、冷蔵庫から取り出されたばかりだとわかる。メモの横に合鍵がある。走り去った車のエンジンの轟音(ここでは二人が遠ざかっているのが示される)のあと、城戸のナレーションによると、木島は蒲生田のところに行ってしまい、しばらくは戻ってこない。ある急接近の夜が明けて、二人は早いスピードでと遠ざかっていく。このような距離を置くのは必要があるかもしれない。二人とも、二人の間にある霧とは何か、そしてお互いにとってどういう意味かをじっくり考えなければならない。

では、また次の間。

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