『すばらしき世界』ゲロまみれでも優しくあれ

『すばらしき世界』を観た。
役所広司演じる、三上という元暴力団員の殺人犯が13年ぶりに出所し、カタギに戻ろうとする様子を描いた実話ベースの映画だ。

三上が過去に所属していた組を尋ねるシーンがある。
組長の奥さんが三上に対し
「あんたはこれが最後のチャンスでしょうが。娑婆は我慢の連続ですよ。我慢の割に、たいして面白いこともない。けど、空が広いって言いますよ」と言い聞かせる。

空が広い。
以前私がSMの仕事をしていたときの仲のいいドライバーさんを思い出した。
彼に「昼職に戻るから風俗をやめる」と伝えると、ほんとうにすごいことだ、ととても喜んでくれた。

その人は風俗ドライバー歴数十年の男性だった。
風俗店を掛け持ちし、朝9時から翌朝5時まで働く生活を続けている。休みは年に3日程度。運転席の隣にはカフェインの錠剤数箱とボトルガム2壺を常備。彼が客層の悪い店にいたときは病んでいる女性が多く、何度も恐ろしい思いをしたという。
いろんなことを抱えていそうなのに、常ににこにこしていた。

数十年間、風俗業で働く女性を間近で見てきたからこそ、昼職へ戻りたくても戻れない人の多さをよく知っていたらしい。
「前も会社員だったので、しばらくお休みをもらった感じです」と返すと、「それがなかなかできないんですよ!!」と普段温厚な彼に似合わない力強さで言った。

社会という道から外れるのは、脇道に一歩逸れることではなく、地下へ落ちるようなものかもしれない。
上から見た直線距離は近くともそこには崖があり、戻るには這い上がらなくてはならない。崖には階段がなかったり、階段を見つけたと思ったら壁に描かれた絵だったり、そもそも本人の足が折れていたりする。

無理して崖をのぼらなくとも、今いる場所が過ごしやすければいいのだが、生きるには金がいるので仕事をしなくてはならない。
仕事をするためにはその人が価値を発揮できる場所が必要で、金に見合う価値があるか判断するのは社会の中でもルールを作る側の強者であることが多い。
ルールを作る側の人間は社会のど真ん中にいるので、深い場所の人間の居心地を整えるまで気が回らない。脇にそれた人間は生きづらさを強いられる。

大きく「社会」と括られる日の当たる道でも、そこには高低差があったり、隣を歩く人からこっそり足を踏まれたり、親切に傘をさしかけてくれる人が実は脇腹にナイフを突きつけていたりする。
本人の笑った顔だけではわからない、それぞれ抱える事情と地獄がある。
隣の人と同じものを見ているようで、見えている世界はその人にしかわからない。

『すばらしき世界』を観て、応援してくれるドライバーさんを思い出し「今の仕事をがんばろう」と決意した。
なんとか「社会」へ復帰できたので、今いる場所を大切に、自分の仕事をしよう。

その翌週、社内の飲み会で盛大に酔っぱらい、会社の偉い人にゲロの始末をさせてしまった。
翌朝断片的な記憶をつなぎ合わせ「これはクビだな」と確信した。
あまりに早い出戻り。
応援してくれるドライバーさんへ合わせる顔がない。

仕事が始まり、切腹前の武士の気持ちで偉い人に謝罪すると、その人は気にしなくていい、とてもたのしかったからまた飲もうねと言ってくれた。

どこにいて何をしているから偉い、ということはないのだ。
どんな場所でも、近くの人が転んだら手を貸すのが当たり前と思う人間になりたい。
正直、殺してほしいほど恥ずかしい。今まで他人の前であらゆる液体を出し羞恥心は消え去ったと思っていたが、そういえば嘔吐プレイだけはやっていなかった。抜け漏れはあるものだ。

特別な事件を起こさずとも、小さなきっかけで社会から排除されてしまうことは、誰にでも起こる可能性がある。
どこにいても空が広く感じられるように、人に優しくあろうと思った。

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