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生きる上で欠かせないもの

昨年の話だけれども、コロナ禍の中で感じていたこと。忘れそうだから、その前に。

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6月から再開された鳥獣戯画展、4巻をまとめて一度に観れる、またと無い機会。会期延長という有難い機会。
平日しか空いてなく、朝イチの回で予約し。
悪天候な中でも、不思議とお出かけに高揚して早朝から元気に上野へ。
雨に濡れた人の少ない朝の上野公園。思いの外良く。何げに目の端に入った、寛永寺の渡り廊下の素晴らしさに思わず足を止め。お参りしたくなるが、先を急ぐので諦め。終わったあとに戻ろうかと思案しつつ。広い上野公園、勘を頼りに国立博物館を目指し、早朝の散歩を楽しむ。
母くらいの年齢と思われる、リュックを背負った小柄なメガネの女性、ちょっと変わったデザインのある長い傘をさして、サクサクと舗装されてない樹々の生い茂る方へショートカットな模様。お!彼女も同じく鳥獣戯画展に違いない!道はあってそうだし、サクサク急がれてる雰囲気、これは着いて行って並ぶべきな感じ!と、置いてかれないように、ついていく。樹々の下で雨が弱まり、足場は思ったより悪くなく、むしろ土の柔らかい、ふかふかな感触が心地よく。樹々を抜けて開けた視界の先には、目指していた国立博物館!おー、着いて行って正解だ!あー、左手にスタバ。朝ごはんここでも良かったかー。が!国立博物館前、並んでる!やっぱり!スタバでのんびりしなくてよかった!悪天候の開門30分前で、20-30人は既に並んでる。予約してても。おばさま、よそ見しないように私の道案内をしてくれてありがとう!点滅する青信号を、彼女を追いかけ、一緒に渡る。列に並ぶ。ひと息ついて、周りを見る。公園側を見ると、広く開けた視界、雨雲が強風で姿がどんどん変わる空。鳥獣戯画展の看板、わくわく。開門まで30分。全然飽きない。どん後ろに続く列、それに合わせて係員が適宜アナウンスするオペレーションの良さ。これは、なかなか期待できる。ここから平成館までは、ちょいあるので、気を抜かずサクサク行かねば。

傘を預け、荷物は預けなくても大丈夫なように、リュック。がら空きの土産物コーナー、ひっかかりそうになるけど、本来の目的を忘れないで!さて、突入!歩く歩道で観ると聞いていたけれど、これか!遮るものは無く、どんどん進んで、歩く歩道へ乗る!係員が何か注意されたけど、興奮していてよく聞こえず。リュックを下ろして、手すりに載っけて前のめりに鑑賞準備してたら、後ろの人に、係員がおろせと言っていると教えてくれて。はいはい、と足元に下ろし。さて、準備完了!

わくわく感が止まらない。絵巻を覗き込み、ゆっくり左へ動く歩く歩道。じわっじわっと目の前に現れる、本物の絵巻。左からゆっくり見えてきて、一瞬、ん?と何かに躓くような、戸惑う感覚。あ、一本の長い絵巻だけど、場面ごとに大きなフレームで並んでるから、その場面全体がパッと目に入り切らなく、目の前に部分しか見えなく、場面の左端が終わり、突然、次の場面の右端が目に入るから、左一方向へ動く歩道にも関わらず、戻されるような違和感。ちょっとアタマが混乱。でも、絵巻はこういうものなのか、平安貴族は、一場面を開いてじっくり鑑賞したら、右に巻き取り、次の場面を床いっぱいに広げてまた覗きこむ、とかして楽しんでたのかな、そうできないこの流れるプールみたいな、歩く歩道鑑賞、ちょっと残念、など考えたが、やはり目の前に観る踊るような筆の迫力に引き込まれて、あっという間に鳥獣戯画の世界へ!
今にも動き出しそうな表情豊かなうさぎとカエルたち。音が聴こえてきそうな川の流れ、草花の繊細なタッチから柔らかな感触と色が伝わる。野の草花は、今もよく見るものも。あー、今も昔も変わらない風景。動物たちの人間のような仕草、表情。楽しさが伝わってくる。
乙の動物たちの細やかな表情豊かな愛情に溢れた筆。仲睦まじい家族の姿、今も変わらない戯れ合う犬たちの躍動感あふれる姿、お母さん鷄に叱られてるかのような逃げ惑う雄鶏。現実の身近な動物から、実際に見るのは難しいゾウや虎、はたまた想像上の動物たち。最後に漠が出て来るのは、食べてもらいたい悪夢があるのか、この素晴らしい絵巻の中にずっと居たいのか。
丙での人間の様々な遊び、今も変わらないものに驚嘆。そして人のほうが動物っぽい印象を受ける、皮肉さ。
切り取り、装丁して床の間に飾る、も今の手法にある。同じなんだなぁ、と。
模写のコーナーも、興味深く。模写になった途端、何か枠にはめられたような、窮屈さを感じる。そりゃそうか。オリジナルは表現したいものを自由に表現した結果であり、模写はそれをなぞる、枠の中で。が、江戸の浮世絵師のちゃっとノートにスケッチ風な手習いは、オリジナルに魅了されリスペクトしながら、咀嚼して、彼のオリジナルの手合いになっていて。これまた、面白い!

色々、興奮しながら、誰がこれを描いたのだろう、と思い馳せながら、ぐるっと最後まで観きり、最初に戻る。と、もう歩く歩道には、待ちの列が。あー、早く来て良かった!他にはもう目もくれず、もう一度観たいものだけに集中。
が、2回目は拍子抜けなほど、もう初回のような感動は無く。やはり、一期一会、全集中で対峙するってのは大事だなと。予備知識無しで、自分の感性で勝負する醍醐味を、改めて感じ。
予習が嫌いな、その場の出たとこ勝負!な私らしい楽しみ方ができてホントに楽しかった!あー色々揺さぶられる作品たちと、展示方法に改めて感服。知識や経験が無いと読み取れない、掬い取れないものもあるし、難しいところなんだろうけど、やっぱり一期一会の真剣勝負!魂が喜ぶ体験は何よりも捨て難い。知らなかったが為に見落とすこともたくさんあるだろうけど、その時が精一杯な自分ができる体験を、余す事なく堪能することが肝心、知らなかったことはあとで知って、次の体験に活かされれば良いや、と開き直り。

拍子抜けな2巡目を足速にそれなりに楽しみ、お買い物。で、せっかく来たからには、国立博物館の常設展へ。この素晴らしい建物自体も大好きで、空間を楽しむのと、我が国の宝たちと対面。

鳥獣戯画展と連動して、動物がらみの国宝たちが惜しげもなく、興味深いチョイスで展示されていて。なかなか見応えたっぷりで、館内を隈なく歩き回り堪能。パッと目の端に留まり、つい引き込まれた鷹のデザインされたカラフルな団扇はだったり、作者不明だけど刀の鍔に施された駄洒落の効いた銘(葡萄にリス/武道に律する)と素晴らしい構図と細やかな立体的な彫刻はまさしく芸術で。平和な武士の治める江戸時代の豊かさに想いを馳せため息。猿の巨大なホンモノより迫力のある、木彫り彫刻に圧倒され。中庭に面した来賓用のヨーロッパと中東、地中海沿岸を連想させるエキゾチックかつゴージャスレトロな部屋、壁のタイル埋め込みやシャンデリア、庭に面したアールデコな雰囲気の背の高いガラス扉、そこから入る自然光と部屋の印影、部屋の隅に置かれた黒電話。うっとりため息のでる大好きな空間。そこから雨降りな誰も居ない中庭に出て、苔生した様や雨に濡れた緑の香り、時折強くなる風を頬に受け、胸いっぱいに空気を吸い、思うがまま散策を楽しみ、心から満足して、国立博物館を上野を離れ。帰路でつくづく深呼吸しながら心底満たされていることに気づき、初めてこの異常な日常に、魂が殺されかけていたんだと認識。国宝たちと直接相対することで得られるものは、オンラインでのコミュニケーションで得られるものとは、大きく異なり、刺激されるところが全く違っていた。時空を超えて、触れ合う“今”に、永遠を観た気がする。それだけ力のあるものがあるのだと。食べ物から摂取するエネルギーではない、魂を揺り動かすエネルギーもまた、人が生きる上で欠かせないものだと、魂が刺激され、心が元気になり、身体の隅々までエネルギーで満たされたのを実感しました。国宝や芸術は、人が生きていく上で欠かせないもの、と改めて強く感じた日でした。

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