わたしのきもち。
ドーパミンが低い想起パターンを肯定するひとりでありたい。
毎日、誠実に労働して、
ドーパミンの分泌量が低くても生きていけると示したい。
ドーパミンが高い想起パターンは
シンパシーを覚えられない。
シンパシーを覚えられないものは覚えられない。
何も好きになりたくない。
軽く病んでいるのかもしれないけれど、
私にとってはこれが普通で健康的な時でもこのような想起パターンは
多くある。
悲しいと思うこともしたくないし、
心配もかけたくない。
それでも、前向きなことだけ言って生きるのも
しんどいし、
ドーパミンの分泌量が低い。
障害を持っている人は、ドーパミンの分泌量が低い
とかネットで学んだ気がする。
ドーパミンの分泌量が低いものは低い。
エニアグラムでは 全ての価値観が正しいとしていて
タイプ9 調和と平和を願う人
タイプ4 特別な存在であろうとする人は
ドーパミンの分泌量が低い。
【全体】【みんな】【調和】【和】などを重んじる人は
セロトニンの分泌量が高いけれど、
ドーパミン(短期的集中力に影響する/と個人では考えている)
とノルエピネフリン
(思考・分析を深ぼるために使う考察力/と個人的には言い換えている)
が低い。
タイプ9は、短期的に跳ね上がる集中力があまりなくて、
考察力もあまりない(ため、考えすぎて疲れることも少なく、
考えに区切りをつけて、余計に考えないこともできる
/できる は 強み)
セロトニンは、ドーパミンと同じ 幸せを関係するホルモン
ではあるんだけれど、
ドーパミンが短期間でドパァみたいな幸せホルモンだとしたら、
セロトニンは もっと和の雰囲気があり
長期的なイメージがある。
セロトニンが高いと、たとえばあまり幸せな状態じゃなくても、
ポジティブに考えることができる。
たとえ損していても、ポジティブに考えることができるのは
セロトニンによるもの。
自分もそういう感じでセロトニンを分泌することもあるのだけれど、
まあ、深淵の方向を見た時に、どうしても対局の方角にいる批判者の存在も
考えつき(それを思考力がまあまああるために発生するものだと
セロトニンで肯定している)、
そこから見れば、損していてポジティブな人間は
おめでたく 見えるんだと も考察する
(ノルエピネフリンがあるために考察する)。
しかし、私の観察によると、セロトニンの分泌量が根っから高い人は
おめでたい人間に思われることに あまり嫌な気持ちにならないように
感じる。
そう思われても良い と言えるほどの 度胸も備わっていると思う。
(私は全てのタイプの似非を持っているような気持ちもあり、
自分のタイプは タイプ〇だ、と言う気はない。
たぶん、今後もそうだと思う。
タイプ9 調和と平和を願う人のように 全体の和を重んじたい時もあれば
タイプ8 強さを求め自己主張する人 のように 短期的にドパァって感じな
集中力を発揮して 強さを求め自己主張したい時もあるし、
タイプ2 人の助けになりたい人 のように
あたたかい感情を持って振る舞い、人の助けになろうとする時もある。
タイプ4 特別な存在であろうとする人 であろうとすることは割と高頻度で
出てくる。
短期間でドパァな集中力を発揮することを
肯定できない自分が高頻度で訪れる。
(それはタイプ4は ドーパミンとセロトニンの分泌量が低いから
で説明できる)
タイプ5 知識を得て観察する人 のように 情報収集をするときもあるし
(タイプ5 とタイプ6は 考察力に関するノルエピネフリンが高い以外の
分泌量の高低は 覚えていない。
それは、ノルエピネフリンが高い タイプ5 タイプ6 タイプ7 を
纏めてヘッドセンター と言うのだけれど、
自分は 頭でっかちになって 自己管理できなくなることが
これまでにあったため、
ガッツセンター、ハートセンターの感覚を優先的に大事にしているためである。
そのため、考察力をいい意味で捨てて、
完全に把握すること を諦めているのである。
しかし、これだけエニアグラムについて語れるため、
チャラにさせる気だ)
タイプ6 安全を求め慎重に行動する人 のように
会社・家族 とにかく組織に従順に振る舞い
石橋を叩いて渡る気持ちで 取り組むこともある。
元々、安全を求めて慎重に行動するのは チキン(弱虫)がすることだ。
とガッツセンタータイプ8 強さを求め自己主張する人 の気持ちで
思っていたこともある。
しかし、男には 弱虫(チキン)だと思われても
考えを通さなければならない時もある。
それもまた 深い考えであるとも思えて、
プライド任せで生きるタイプ8には 醸し出せない魅力もある、
と思っている。
タイプ7は 楽しさを求め計画する人 なのだけれど、
あまり そのタイプの想起パターンが 巡ってくることは少なく、
いい意味でネガティブ目な想起パターンが多く巡ってきてしまう。
しかし、楽しさを求め計画する気持ちなく、
いい意味で病んで 闇堕ちするくらいなら
自然に学んで あまり優秀じゃなくても 人生は楽しい といえるような
メンタリティを育てることも大事だと思う。
タイプ7は、セロトニン、ドーパミン、ノルエピネフリンが全て
分泌量が高く、
損していてもポジティブになれるメンタリティもあり、
短期間でドパァというかんじの集中力を発揮することもでき、
考察力もある。
エニアグラムでは、すべての価値観が正しく、
タイプに優劣はない、というけれど
タイプ7は 健康な状態である限りは イケイケな感じがあると思う。
たまにタイプ7のように 振る舞うターンが 降りてくるんだけれど、
ふとした瞬間にまた タイプ4のように戻る私がいる。
肯定することを肯定できなくなった時、
自分の中でタイプが入れ替わる感覚がある。
(公式テキストにそういう記述はなかったけれどない)
逆に言えば、セロトニン低いタイプも
否定することを肯定できなくなった時、
セロトニンが高いタイプへ変わっていくこともある。
みんな変われるんだよ。
エニアグラムは そう示してくれている。
でもイケイケで だらしない人間が すべての人は変われる とか言っても
好きになれない、個人的に。
地味目でも、誠実に 日常生活をこなす人が 言うんだったら
私は 話を 聞こうかと思う。
その逆もあり、イケイケで だらしない人間 の方の話を聞きたい
人間もいるのかもしれない。
価値観は自由だから、とは言っておくけれど。
タイプ1 完全でありたい人 のように
セロトニン、ドーパミンの分泌量 中くらい
(前向き度合と 短期的でドパァな集中力 中くらいのイメージ)
ノルエピネフリン 低い で考察にあまり関心がない
(起こった事柄に対して 反応的に動く たぶん)。
タイプ1のように 細部にこだわる 時もある。
仕事する時は、細部にこだわる気持ちがないと
良質なオペレーション(実行)ができないからね。
でも そのタイプが 高頻度で出てくることは少なめで。
というか反応的に 出てくるのが 通常なので
相手が間違ったことを言ったら
正確なことを言って。
間違いは訂正しておきたいので。
みたいな気持ちで 間違いを訂正する気持ちかもしれない。
タイプ1のようになりたい、と普段から強く思うということは
タイプ4からタイプ1になろうとしている
(タイプ4の成長方向は タイプ1)
状態なのではないか と思う。
自分も タイプ4 が心の中で高頻度で出てくるから
潜在意識では タイプ1のような忍耐力を発揮していればいいんだ、
としているところもある。
今日も忍耐の気持ちで労働してきた。
タイプ3は 成功を追い求める人 で
ドーパミンの分泌量が高く セロトニンとノルエピネフリンの分泌量 中くらいで
短期間でドパァって感じに跳ね上がる集中力もあるし
損していてポジティブに考えられる気持ちも まあまああり
考察に対する関心
(ノルエピネフリンの高低は考察力というよりも
考察に対する関心に関わるのかもしれない)
も まあまあある。
タイプ3は 美男美女が多いという。
(容姿・風貌でタイプがわかる と公式テキストに書いてあった)
私は タイプ3的な自分でい続けることを肯定できなくて
いい意味で美男美女を僻む気持ちを持ってしまう。
これですべてのタイプを一周したかな。
とにかく、自分は エセカメレオン というか
ひとつのタイプで 自分を説明することはできないと思っていて
1日の中で 心 頭 本能 の中を なんどもなんども
異なる想起パターンのプリセットが
なんどもなんども なんどもここでまわっている
という感じなんだ。
公式テキストだと、メインのタイプとウィングというサブタイプがありますよ。
その他のタイプも一応、全部持っていますよ、
みたいな 感触なんだけれど、
私の知っている私の中では
すべてのタイプが 自分の心の中で
行ったり来たり、という感じで。
割と心が忙しめなんだ。
だから、いい意味でゆっくり取り組める今の仕事でよかった(余談)。
とりあえず、自分に不足しがちなタイプを客観視して、
育てていったから、それを活用して なんとかなっている今がある。
自身に足りないタイプは、育てる意識が大事。
自分がそれを育てようと思った時には、
もうずっと前から、それの必要性に気づいて 育てている人もいる。
今まで自分が価値に気づかなかったから、
なにかが うまくいかなかったんだと気づいた。
特に気づいたのは、
損してもポジティブでいることを肯定するメンタリティの価値に気づいたこと。
考察に対する関心を捨ててでも、短期的にドパァと興奮することも大事。
そういう興奮から、短期・中期的で跳ね上がるような集中力が
手に入ることもある。とか思ったり、
(しかし、それを肯定することを肯定できなくなると、タイプ4の顔が
高頻度で現れるんだけれど)
温かい気持ちを持っている風にして、見返りを求めない良い人っぽく
振る舞うことも カードとしてはアリだな、と思えたり。
損得勘定に敏感で、考察にはまあまあ関心を持ち、興奮を覚えることに
否定的でも 生きていけるんだ、と分かったり。
調和と平和を願う態度を取っていれば、主人公っぽくなれるし、
それで誰も傷付かず、場が収まることもあるんだと思ったり。
弱みを見せて、逆に共感を得るのも、カードとしてアリなんだと
分かったり。
安全を求めて慎重に行動することは とても大事なことで
チキンと思われたとしても ブレない判断基準をもつことも大事だとわかったり
(価値を理解することで ブレない判断基準を持つことができ、
それで日常をこなすことで、その想起パターンをポジティブに
考えられるようになる)
度胸を持って、理想を通した時は格好いい、ということもわかった。
もともと、勝敗に固執しないところもあり、
勝っても負けても、楽しめる 人間になったりする。
そういう人間は、みんなから支持される。
人望、人徳。
チキン気質でも、努力し成長・進化すれば 素晴らしい人になれる
と分かったし、
チキン気質だからこそ、上から目線にならず、
主張を提示しやすい、と思えるところもある。
努力すればするほど、味が出るスルメタイプだと分かった。
最初のストイックさは タイプ8とかタイプ1とかタイプ3の方が
強いんだけれど、
タイプ6は、自分軸で 自分ができることを増やしてく方がいいタイプで
向上心とかを持ちたくなった時、
ちょこっと相手の調子を見るようにすればいい。
タイプ6は普段から相手の話に耳を傾ける傾向がある。
しかし、聴いてばかりだと、自分の存在が映えないことで
悩みを抱えることもあるかもしれない。
それでも相手を立てようとする気持ちがあり、
聴き上手のようになっていることもあるかもしれない。
しかし、話を聴いてあげる相手はしっかり選ばないといけないな、
と経験上、そう導いている。
人間関係を持ち続けたいと思えない相手の話を聴くのは不毛。
自分はそう思った。
自分はどこまで魅力的になれるんだろう。
純粋にそこへ興味を持ち、女性と結ばれたいと本気で思わなくなった。
(まあ、わざわざ言うほどのことでもないけれど、
そういうキャラを定着させたい)
逆に自分を魅力的だと言ってくれる人がいたとしても、
嬉しい、とか思ったり、
ありがたい存在だと思う気持ちを持つことができなくなった。
まあ、不器用なんだけれど。
不器用を武器にして、女性と結ばれたいと思うのは
なんかいやで、
やっぱり、前提条件に 女性と結ばれることを考えない
キャラを定着させよう に戻る。
魅力ある人間に近づこう とするんだけれど、
そういう前提条件で 24時間 過ごしているので。
今後も このような調子だろう。
バレンタインデーも、彼女が欲しいわけではないけれど、
全国の結ばれている男女を 羨ましく思うけれど 抑えなきゃなー
な気持ちで過ごしたなー。
やはり 前提条件として 600日以上 女性と結ばれることを考えずに
純粋に魅力を追求したい、という気持ちを思って生きてきたからな。
考えすぎて ばかばかしい と思われたとしても
無駄な部分でストイックになっていたい、というか。
自己超越欲求なんだろうな。
そのような考えで、普通の生活を普通に過ごすことが。達成感を感じる。
一応、こうやって前提条件、予め決めて生きているけれど、
さすがにバレンタイン当日は、
自分が普段から無駄にこだわっていることに対して 自責感に駆られる。
チョコが欲しいわけでもなく、チョコが要らない訳でもなく、
普段から、無駄にこだわって生きていること
に対する自責感に駆られるんだと思う。
まあ、なぜ 無駄にこだわるかというと こだわることをやめたら
心の隙間が 生まれるからだな。
心の隙間があるってことは 自分も行いたいことを 突き詰めていない気がして
心の隙間は こだわり で詰めようとする。
彼女を作ることで 心の隙間を埋めよう と思えないのは
逆に 悩み事が増えそうだから
望むことはやめよう、ってなって
無駄なこだわり で心の隙間を埋めようとする。
心の隙間を作った方が 新しい変化が起こるというけれど、
基本、変化を拒む気持ちが強く。
無駄なこだわり で心の隙間を埋めることを肯定して生きている。
普段、それを肯定する気持ちを極限まで強め、
脆さなんて感じないくらいに、強靭に 内面が変人 でいたい
と思っているけれど、
2月14日というのは 存在自体が クリティカルヒットな日だな。
364日 変人メンタルで平常運転しても
その日は 存在自体がクリティカルヒットなんだよな。
毎年、2月14日だけ飛ばして、
2月13日の夜が 2月15日の朝 のつながっていて欲しい
と思うくらいだ。
よく読み直せば、私の気持ちがよくわかるはずだ。
リアルで変に言うと、誤解されそうだから、
noteで器用に言う他ない…
それに最近、嫌われても気にしない(アドラー心理学の嫌われる勇気)
メンタリティが先行して、
結構、適当に言葉を使っているかもしれない。
いい意味で他者の顔色を気にすることから遠くなっているけれど、
(タイプ6の課題を乗り越えたという点では 素晴らしいことだけれど)
これでいいのか。
これでよかったのかは 今後の自分の行動で決まるから
今後の向き合い方も大事だな。
今後の行動・向き合い方次第だな。
これでよかった、と言えるのかは。
逆に未来はなんとでもなる。
努力すれば、これでよかった、と言える瞬間が増える。
頭使わなくても、努力すればいい。
結果を出せるようになれば、これまでの あのときは
これでよかった、となる。
これまでもそうやって、
過去をポジティブに受け止めたり、受け入れたりしてきた。
これからもそれを行うだけ。
まあ、内容を誇張するのは エンタテイナー気分で行っている感じだ。
そう志す前の自分が書くのを躊躇ったことも
今の私なら書ける。