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今思えば、自分のことだけを考える悪人がいたから、善とは何か❓について考えたらのかもしれない。

誰も憎まず生きたい。

憎んでもおかしくないことも

怒らず生きられるような生き方をしたいと思っている。

怒ってもよかったこともあるかもしれないけれど

怒るという感情は近い所にあるよりか

遠い所にあることを望む。

相手が起こした、怒ってもおかしくないことを

怒らず許せた時

第三者から、いい人、だと感じてもらえるのではないだろうか。


自分のことだけを考える人が

悪人だと言えるなら

悪人がいなければ私は善人になれなかったかもしれない。

私は何の因果も介さない所から

善人になることを望んだわけじゃなくて

自分のことだけを考える悪人がいたから

善とは何か❓

について考え始めた記憶がある。

まあ、悪人、という言い方はどこか断定的な印象があり、

好んではいないけれど。

悪い行いには、悪い、と明確に思うことも大切だ。

また、悪い行い、といえど段階もあるだろうし、

何らかの因果が引き金になって

たまたま、悪い行いをしてしまったのかもしれない。












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