今思えば、自分のことだけを考える悪人がいたから、善とは何か❓について考えたらのかもしれない。
誰も憎まず生きたい。
憎んでもおかしくないことも
怒らず生きられるような生き方をしたいと思っている。
怒ってもよかったこともあるかもしれないけれど
怒るという感情は近い所にあるよりか
遠い所にあることを望む。
相手が起こした、怒ってもおかしくないことを
怒らず許せた時
第三者から、いい人、だと感じてもらえるのではないだろうか。
悪
自分のことだけを考える人が
悪人だと言えるなら
悪人がいなければ私は善人になれなかったかもしれない。
私は何の因果も介さない所から
善人になることを望んだわけじゃなくて
自分のことだけを考える悪人がいたから
善とは何か❓
について考え始めた記憶がある。
まあ、悪人、という言い方はどこか断定的な印象があり、
好んではいないけれど。
悪い行いには、悪い、と明確に思うことも大切だ。
また、悪い行い、といえど段階もあるだろうし、
何らかの因果が引き金になって
たまたま、悪い行いをしてしまったのかもしれない。
楽しくて得られるものが多いクリエイターになります⭐️⭐️🗼🔮🌈