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やる気がある人を応援するのは強制じゃない。



【以前この曲を投稿した時は、ウケがいい意味で悪かったことを思い出す。

自分的にはwowakaさんの謙虚だけど尖っている所は尖っている、

っていう雰囲気をよく感じられる神曲だと思うけれど、

曲に対して熱烈にリスペクトする気持ちを高めれば、

共感してくれない(できない)人もいるだろう。

熱烈にリスペクトする気持ちを持っても、

みんながみんな、同じように共感してくれないのはわかっている。

だから、みんながみんな同じように共感してくれることを

賢者になったような気持ちで諦めた結果、

共感してくれなくてもいい、と割り切って、

熱の次元を上げることに控えめであるんだ。

まあ、好きなものの対して好きだという気持ちを

燃やしても燃やしても、

暑苦しいと思われるかもしれない。

タイトルにあるように、やる気がある人を応援するのは強制じゃないと思う。

わたしだって、やる気がある人を応援することに

いい意味で冷ややかな気持ちは持つこともこれまである。

社会人として安定的であるためには、

周りを困らせるような暑さなんて要らないんだ。

だから、社会人として言うならば

私の選択も戦略的に間違っていると言えない。

だけれど、今の私は

(まあ、常識で健康的なレベルであることに違いないけれど)

やる気がある人に対して、応援しようという気持ちが

そう多くない、大きくない。確かに、そう気づく。

他者は鏡なんだから。

わたしがやる気がある人に対して応援する気持ちが

あまりないのであれば、

わたしがやる気を出した時にも、

周りが熱烈に応援してくれなくても

文句なんて言う権利ないよな。

しかし、気になる点がひとつあり。

やる気がある人なら誰でも応援するとなると、

自分の活動は疎かになりがちな印象、イメージがある。

実際、周りを応援してばかりで、

自分の活動が納得、満足いくまで進んでいない、みたいな経験もある。

チャンネル登録者10万とか超えるYouTuberとかは

案外、やる気がある人を熱烈に応援しているのかもしれない。

だから、そいつがやる気出した時に熱烈に応援されるんだとすると、

辻褄が合う。

noteでは脱力系的態度で、人気を獲得してきた。

しかし、YouTubeはまだまだビギナーなので、

やる気を出さなきゃならない、と常々感じるのだ。

YouTube頑張るぞ💪😤

やる気を出してエネルギッシュになることで
noteで書く分もエネルギッシュになる

読者がエネルギッシュな文体に慣れていないから
違和感を覚えると予想

スキ・コメント・フォローがされづらくなる可能性があるかもしれない


noteでは自分の60%くらいの力でも、

納得、満足いく結果が出るんだけれど、

noteで普段、出している態度をYouTubeにもそのまま適用していいものか❓

YouTubeではまだまだビギナーなんだよ。

やる気を出さなくてどうするんだよ。

でも同時に、やる気を出してどうするのさ‼️

とひとりツッコミする自分もいて、

それで、60%くらいの力で

note・仕事・家庭・YouTube

をそれぞれ取り組む日々が続いていた。

それを基礎にすると言うことは、

やる気がある人に対して、自分の中にある調和を見出すものだとして、

弾き出すような考えで見るようなものだ。

そして、それは同時に、

自分がやりたいことを見つけて、

やる気を出した時に、周りも60%くらいの気持ちで応援してしまう、

未来を予約してしまっているんじゃないか、と降りてきた。



いやでも、わたしも、やる気出してる人見れば、

めんどくさい(はい、いつものあおもりん節)、

と思う気持ちもわからなくない。

それに200%やる気があった日の翌日は

同じように200%やる気があるとは限らない。

でも、賢者的に禅問答を進めた人にとって

最強の答えは

【やる気が(あなたの)世界を変える】

なんじゃねえの❓

この記事のサブタイトルを

【やる気が(あなたの)世界を変える】

にしていくか。

やる気を60%で均一にして、どこでも60%で振る舞うのは

そんな悪いことじゃないよね。

障害者雇用だから、ものすげーやる気出して不安定になるよりも

60%くらいの力で毎日仕事を継続してもらった方が

企業が助かるしな。

noteやYouTubeやってる時間よりも、

仕事している時間と、家にいる時間の方が長いのはトーゼンだろ❓

少なくともわたしの仕事は、

仕事でめちゃめちゃやる気を出す旨味はあまりない。

逆に、60%の意識を持っている時の方が、

仕事のスピード上がったと言う経験さえある。

だから仕事に関しては今のノリで過ごすのが大正解であることに違いがない。

家でも、やる気を意識的に出して、

相手の時間を大きく泥棒するような取り組み方をしたら、

家族が悲しむだろうな。

わたし自制心をいい意味で失うくらいにやる気を出したら

家族は困るかもしれない。

やる気を出すと、人は不安定になりやすいし、

自制心を失いやすい。

だから、やる気を出すことを、最優先にしない理由もわかるよね。

そういう理由で、家庭でも

60%くらいのノリで過ごすのが大正解だといえる。

だから、note・YouTubeも60%のノリで過ごすことが推奨できてしまう。

noteは60%のノリでも、納得・満足いく結果出るから

いいとして、

YouTubeで60%のノリで今後も投稿し続けたとしても

納得・満足いく結果には拡大しないっての。

なんだろう。

「はぁぁぁ うっせぇうっせぇうっせぇわぁぁぁぁ」

と怒りを叫びたくなる気持ちは(実際には言わんけど)。

やる気は自分の中で平均化されると思っている。それが自然だと。

家・仕事 で60%のノリが大正解なら、

note・YouTubeでそれ以上やる気を出すと、

家と仕事に戻った時に、人間関係のノリがいい意味で合わなくなる。

結局、その場所に合わせてノリ戻すじゃん。

だったら始めから60%で均一してやる気を出しとけばいいじゃん、

という話にまとめるのがいかにも賢者的な考え方だと思う。


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