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「自由な教育」の、方法は?【前編】
北海道長沼町に、北海道発の「自由な学校」をつくろうとしているNPO法人「まおい学びのさと」です♪
NPO代表であり、学校長(予定)の細田孝哉が過去の集会時に配布していた資料の一部をご紹介するシリーズです。
今回のテーマは
「自由な教育の方法は?」
(1)強制でも、知識貯蓄型でもない
既存の学校教育は、子どもたちの興味や個性、発達段階に応じて体験的に柔軟に行う教育になっておらず、教育分野の要請する網羅的な知識を盛り込んだ教育課程を、成績や受験を用い効率的に貯蓄させようという教育になりがちである。
そうした知識の多くは、頭だけの知識であり、感情も伴わず、身体性も希薄で、本人の生き方と関わりのない無味乾燥なものだ。
受験終了とともに急速に剥落していく類のもの
P.フレイレの言う「預金概念(banking concept)の教育」である。
そして学校は、知的興味を失い、自信を無くし、鬱屈した子どもたちのエネルギーを、これまた教師側で決めた一方的な決まりを守らせることで管理していく体制をとっている。
これは、「服従する主体」(フーコー)を生み出すしくみでしかない。
自由な学校は、テストも宿題もなく、自らが楽しみながら学び取っていく「自己決定」の原則に立つ。
自由な学校は、子ども自らが探求テーマを見つけたり、学習の多様な選択肢が用意されていて、自分たちで行事や生活をつくっていく学校になる。
(2)「民主主義の価値は民主的に学習されてはじめて意味をもつ」(J.デューイ)
民主的な教育は、民主的な内容を教えればいいだけではなく、その方法自体が民主的でなくてはいけない。
だから、たとえ民主的な教育内容でも、高圧的・一方的・知識注入型の教育方法であれば、知識としては民主主義の意義やしくみを理解しても、屈辱感と服従と打算を身につけさせてしまう。
(転記しているスタッフKとしても、自分の学生時代を思い返してみる。。。屈辱感とまではいかないにしろ、ある種の無力感のようなものを感じたことが朧げな記憶の中から想起される。)
授業内容としての顕在的なメッセージと、教師の態度や授業方法としての隠されたメッセージ(ヒドゥン・カリキュラム)が矛盾していてはいけないのである。
子どもたちが自ら体験し、仲間と話し合い、協力し合う中で
気づき
探求し
理解し
体得し
表現し
行動して
自己肯定感を高める。
それを教師がコーディネートし、準備・支援・ファシリテートする。
そうした手法が、子どもたちに民主主義(地球市民としての資質)を体得させることになる。
だから、教育内容と手法は連動していなければならない。
↑
以上が、細田資料からの引用でした^^
いかがでしたか?
皆さんは、学生時代どうでしたか?
次回は、後編として
↓
(3)体験的な学習
(4)話し合い、気づき合い、尊重し合う生活
(5)なぜ小学校からか?
について、ご紹介いたします。
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私たちは、市民による「市民立」の私立小学校づくりを進めています。
これを打ち込んでいる私(スタッフK)自身も、小さな子ども達を育てながら、この活動に参加しています。
いわゆるフツーの主婦です。
活動に賛同していただける方、仲間を募集しています!
詳細は、NPOのホームページをご覧ください☆
https://manabinosato.studio.site/
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