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人間が本来的にもつ生命力・知的好奇心

NPOまおい学びのさと・代表 細田の過去記事を紹介しているシリーズです。

このシリーズは、現役教員の方々から反響が大きいです。

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人間が本来的にもつ生命力・知的好奇心とは?

本来の学びは苦行ではなく、人間誰しもが持つ生命力・知的好奇心が生み出すものではないだろうか。

そして、学び、知には知的満足の達成だけでなく多様な意味がある。

田中昌弥 氏が、知には「①認知的意味=わかることが楽しい」「②生活的意味=その知が生活の中で役立つ」「③職業的意味=その知が現在あるいは将来の職業にとって有用である」「④文化的意味=その知を得ることで自分が文化的に豊かになったと感じる」「⑤反省的意味=その知によって生活や自分自身のあり方を反省的にとらえられる」という臨床的意味の上に、二次的に「⑥制度的意味=その知が制度との関係で交換価値として機能する」「⑦実存的意味=その知が自分の存在と深くかかわる大切な知である」などの意味が生じると述べている。

そうした多様な知の意味を認め、人間が本来的に持っている知的興味・関心を削ぐことなくむしろ促進する学びを生み出すことができるだろう。

子どもたちにとって、自由な遊びや活動(「手の労働」も)の中にも多様な学びの要素があり、それをいかに見出し整理し学習に組織していくかが支援者・教師の腕の見せ所である。

ただし、強制ではなく自由だからといって、何でもいいから目的もなく楽しいだけの経験を重ねる活動主義にしてしまってはいけない。

また、余計な手出しで、意欲を削いだり、子どもたちが自分でやるべき活動を大人が肩代わりしてしまうことも避けなければいけない。

例えば、幼児は何にでも興味を示す。

幼児が高い所にあるものを手に取りたくて手を伸ばすと、親(大人)はついつい取ってあげることがある。

でも幼児は不満な声を出す。

自分で取りたいのだ。

幼児は高い所のものを手にしたい欲求を代わりに大人が叶えるのではなく、その行為に足りない条件(幼児の背丈)の支援だけ(だっこするなり)をして、自分で取らせてあげればいいだけだ。

子どもの自発性をそぎ、周囲を使うことを覚える「わがまま王子・姫」うぃ育ててはいけない。

学校でも子どもたちが刺激的で豊かな環境の中で何らかのテーマをもって楽しく協同的に活動しそれが見守られ、学習の要素を意識し整理するために大人(スタッフ)による適切な支援がある。

それが自由な学校だと思う。

本来ならどんな学校にもあり、子どもたちにとって、自然豊かで多様な活動が可能な環境、活動を見守り発達を支援できるスタッフ、刺激し合い支え合える仲間がそろえば、もぐら叩きのようないじめ対策さえ必要なくなるだろう。

残念ながら現状は、教育行政の枠組みと競争原理に支配される中、大変不自由で、子どもたちが知的好奇心も自己肯定感も寛容さもすり減らし、序列づけの中で互いを傷つけ合う関係になることも少なくない。

よろしければ、学校設立・運営へのご支援をお願いいたします。