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「宿無し弘文」中国語訳にあたって
禅は西洋では「ZEN」として翻訳され、東洋の神秘を象徴するシンボルとして広く認識されている。この「ZEN」という発音は、鈴木大拙たちによって西洋に広められた結果でもある。
二〇一三年、日本文化専門誌「知日」の主筆を務めていた頃、「日本禅」特集を出版したが、その中でもっとも注目された内容の一つは、むしろIT巨人スティーブ・ジョブズ氏だった。氏が亡くなった後、その人生に大きな影響を与えた禅僧・乙川弘文が世間の注目を集めた。「日本禅」の冒頭には、こう書かれている。「乙川弘文は、ジョブズにとって精神的な導師であり、親友でもあり、その後ジョブズの結婚式も執り行いました。彼は日本の曹洞宗寺院に生まれ、鈴木俊隆禅僧に招かれてアメリカに渡り、禅思想を広めた人物です。鈴木俊隆も曹洞宗の僧侶であり、禅思想を西洋に紹介した重要な人物の一人です。」
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二〇二〇年の春、ある僧侶の友人がぼくに「宿無し弘文」という本を推薦してくれた。ジョブズの名言「ハングリーであれ、愚かであれ」について深く理解したいなら、この本を読むべきだとのこと。そこからぼくがすぐこの本を購入し、まるで「日本禅」編集の続きのような気分で読み進めていた。
著者の柳田由紀子さんは、新潮社の元編集者で、後にアメリカに移住した。ジョブズと禅に関する絵本を翻訳した際に、謎めいた禅僧・乙川弘文に深い関心を持ちはじめたという。それから八年間にわたり、乙川弘文と生前交流があった多くの人々にインタビューを行い、その中から三〇人以上の記録を選び出した。インタビューの対象には、日米欧の宗教家、シリコンバレーの住民、そして乙川弘文の家族が含まれている。これらの記録を整理することで、柳田さんは禅僧のペールを剥がし、本書を書き上げた。原題は「宿無し弘文」で、中国語で訳せば「無宿」となるが、そのまま住居を持たないことを意味する。
中国国内では、乙川弘文の名前を聞いたことがある人は少ないが、ぼく自身もパンデミック中に初めて「宿無し弘文」を読み、その内容に引き込まれ、一晩で読み終えた。もちろん、当時の社会環境や自由が制限された雰囲気の中で禅の香り高い良書を読むことは非常に幸運なことだった。
乙川弘文はジョブズの成功を全面的に支援し、彼の伝えた禅思想はアップルのデザイン理念に直接影響を与えた。ジョブズが二〇歳の時から、二人は深い友情を築いた。乙川弘文が突然亡くなった際、ジョブズは深い悲しみに暮れていた。
しかし、ジョブズ以外には、乙川弘文を「僧侶らしくない」と評価する人もいる。賛否両論が起きた。これに対して、「宿無し弘文」は乙川弘文の実像を深く掘り下げている。特にその書き方において、ノンフィクション作品の模範と言えよう。
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乙川弘文とジョブズはすでに他界しているが、人々の言葉を通じて、故人の姿が生き生きと描かれるというのは、まさに文学の力だ。また、著者は仏教学者ではなく、禅思想についても深い研究があるわけではないが、それが逆に読者に近い視点を提供している。この意味で、この本は越境する文化の模範例だ。それついても、われわれが深く考えるべきだ。
乙川弘文は生涯で三度結婚し、五人の子供がいた。スイスで五歳の娘を救おうとして水死した。禅僧としては、まさしく破天荒なタイプだ。歴史上の一休禅僧によく似ていて、奔放不羈だった。しかし、それと同時に良寛禅僧のような清貧さと淡々とした姿勢も持っていた。
良寛と同じ江戸時代を生き抜いた一人の旗本がいる。勝小吉という人物だ。彼の自伝書「夢酔独言」は、後世の人々を驚かせるものとなった。「日本のヒッピーの元祖」とも呼ばれ、大きな功績を残すこともなく、一生を放蕩三昧に過ごした。しかし、彼の息子である勝海舟は幕末の開明的な政治家で、明治維新の立役者の一人として歴史に名を刻んでいる。勝海舟自身も、父から大きな影響を受けたことを認めている。
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実のところ、一冊の本を翻訳するという作業は、知識を交差させる個人的な営みだ。どんな人にとっても、それは周囲からの影響とは無縁の、純粋に個人的なプロセスで、今話題のAIにも到底代替できるものではない。人間と機械の違いは、もしかするとここにあったかもしれない。少なくともぼく自身の経験から言えば、翻訳するたびに知識を整理し、新たな智慧を得る機会となる。だからこそ、飽きることがない。さて、次に訳す本は何だろうか?
「宿無し弘文」中国語版は、翻訳者として広く読まれることを期待したい。