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北京の空の下にいた頃
編集者たちとのランチ・ミーティング、場所は王府井のセントラル・プラザだ。北京の実家からまずバスで大北窑駅まで行き、そこから歩きはじめた。ここはなぜか、むかし村上春樹が書き下ろした実家のある西宮から三宮まで歩いた様子(辺境・近境)を思い出す。
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最初に訪れたのは、母校である北京市一一九中学(現在は日壇中学に統合されている)と、永安南里にある旧家だ。その後、長安街を西へ向かって歩き続け、建国飯店、秀水街、そして元職場の中国社会科学院などを通り過ぎた。途中で時々胸が熱くなった。
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半世紀ぶりのことだが、当時の情景や人々の顔が今でも鮮明に思い出される。子供の頃、友達と一緒に土手に立ち、緑色の列車(緑皮車)が轟々とやってくるのを見て歓声を上げていた。周りには柳の木がたくさんあった。
当時のわれわれは、誰も今の高層ビルが建ち並ぶ光景を想像できなかったのだろうし、ましてや海外に移住するなどとは夢にも思わなかった。ひとりの幼なじみは今ドイツに住んでいるが、ぼくが撮影した短い動画を送信すると、彼女はすぐに「過去のすべては美しい思い出になります」とメッセージを送ってきた。時空への感覚も変わった。
確かに、時間には距離が必要だ。現実から記憶の世界に入る段階で、悩みや後悔が薄れることはあるかもしれない。しかし、それはすべてではない。拭い去れない痛みもある。まるで夜中に嵐が吹き荒れたかのように。
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文化大革命、改革開放、海外留学ブーム、ビジネスへの参入、そして再び文筆活動に戻る。これらのことが次第に記憶となっていくとき、人は少しずつ老いていく。歳月は水のように流れていくことだけは、何ら変わりもない。
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夜、近くのスーパーでゴミ袋を買おうとしていた時、ひとりの女性が話しかけてきた。「あなたは日本にいらっしゃる方ですよね?私も以前住んでいたことがあります。ずっと前からあなたの文章を読んで、ファンです。」
ぼくは「そうですか」と応対、お互い挨拶をして、その場で別れた。その時に初めて気づいたが、スーパーの装飾は真っ赤で緑色が強調され、とても賑やかなお正月祝祭ムード一色だった。日常とは、少しずれている感覚になった。
結局、人生とはそういうものだ。自分でリズムを持ちながら、時には感傷的になり、もちろん喜びも自ずと感じていくものだから、すべてを任せばいい。