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遠かった日々、近づく今
去年から今まで、頻繁に北京を往復している。数えてみると実に十回近くなった。これまでの頻度をはるかに超えているが、再びこの地を踏みしめた時、初めて戻ってきた時のあの新鮮さや興奮はなくなり、すべてが当たり前のものになっていた。
胡同(フートン)に入っても、以前のように四合院の構造に対する好奇心に駆られたりして、精巧な煉瓦彫刻や傷んだ門枕をじっくり観察することもなくなった。今ではただ通り過ぎるだけ。
おじいさんやおばあさんが世間話をしている声を聞きながら、まるで親しい近所の人々と挨拶を交わすようにしている。
天安門広場の群衆や故宮の赤い壁と黄色い瓦の下での観光客たちを眺めても、それらはもう目には日常的な風景となり、初めて再会した時に感じた写真を撮りたいという衝動は消え失せている。
この都市の華やかさや賑わいは、何度も往来するうちに次第に日常的なものになった。街角に新しくオープンしたしゃれた店に驚くこともなくなり、混雑した交通に対しても驚きを感じなくなった。
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北京は久しぶりの再会の際に感じた感動から、日常生活の中に溶け込んだ存在へと確かに変わった。それはまるで長年会っていなくても、再び会えば、堅苦しい挨拶は不要で、ただ親しみやすさと平常心を感じる古い友人のようだ。我愛北京。