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異なる風景が交差する地下鉄
今回、北京に戻る前、とある会議に出席するために神戸から東京に向かった。新幹線で東京駅に着いた後、地下鉄に乗り換えたが、人混みが多かった。よく見ていると東京の運営が地下鉄に乗っている人の数で判断することができるかもしれない。東京人に道を尋ねると、大抵返ってくる答えは決まって時間だけだ。
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かつて新宿から明治神宮まで歩きたいと思っていたので、近くの東京人に尋ねたら、彼はすぐに答えた。「おおよそ10分ぐらいかかりますよ」とのこと。言うまでもなく、彼の答えは、地下鉄に乗ることを指していうから、徒歩で歩くことを選択肢に入れることすら考えていなかった。その日、ぼくは30分程度で目的地に着き、天気はとても良くて、暖かかった。
先日、北京の地下鉄に乗っていると多くの人が互いに話し込んでいたり、電話をしていたりするのも見た。もし地上で道を尋ねたら、東京のように地下鉄の時間だけを答えることは、まずないだろうと思った。
その時だ。ピタリと澄んだ声が聞こえた。「おじいさん、ここに座ってください」。声の方向を見ると学校の制服を着て、スニーカーを履いた中学生がいた。彼は笑顔で、目は真剣だった。騒がしい中、彼はぼくに席を譲ってくれた。
これとほぼ同時に、なぜか突然、東京の地下鉄に乗っていたときの情景が思い出された。車内はほとんど誰も話さず、静かだった。北京とは違い、車内の人たちは多かったが、制服を着てスニーカーを履いた中学生たちは皆座っていたが、黙っていた。表情は無関心で、もちろん、誰も席を譲ってくれなかった。
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実際、毎回北京に戻って地下鉄やバスに乗ると誰かが必ず席を譲ってくれるから、ぼくはとても恥ずかしくなる。それは東京では誰も席を譲ってくれないのとまったく同じだ
北京市内では、特に敬老カードを使ってバスに乗るとき、車内のアナウンスが「敬老カード」と流れる。そしてすぐに誰かが席を譲ってくれる。その人は男でも女でも、若い人ばかりだ。車内ではまだ多くの人が話をしていて、賑やかだ。
東京も北京もそれぞれに長所があるから、価値判断をすることはない。ここでは、ただ自分の故郷への感想を記録したいだけだ。北京がやっぱり大好きだ。