ノンフィクションの文学力
乙川弘文という日本の禅僧について聞いたことがある人はそれほど多くないだろう。ぼくも、コロナ禍中に「無宿弘文」という本を初めて読み、その内容にすっかり魅了され、ほぼ一夜にして読み終えた一人だ。もちろん、この時の読書体験は当時の社会状況とも深く結びついていた。自由が制限されたような状況の中で、禅の香りが漂う素晴らしい本を読むことは、実に幸運なことだった。
乙川弘文はスティーブ・ジョブズの成功を大きく後押しし、彼の説く禅思想はアップルのデザイン理念に直接的な影響を与えた。二人はジョブスが二十歳の頃から深い友情を築いていた。乙川弘文が突然亡くなったとき、ジョブスは深い悲しみを隠せなかった。
しかし、ジョブスの他には乙川弘文を「僧侶らしくない」と評する人も少なくなく、彼に対する評価は様々で、常に謎に包まれた人物であった。「無宿弘文」は、乙川弘文の真実の姿を深く掘り下げている。その書き方は、ノンフィクションの教範として称賛に値する。
著者の柳田由紀子さんは八年の歳月をかけて、乙川弘文と生前交流のあった多くの人々にインタビューを行った。本書には日米欧の宗教関係者、シリコンバレーの住民、そして乙川弘文の家族など三〇人以上のインタビュー記録が掲載されている。著者はこのような記録を整理することで、この日本の禅僧の神秘的なベールを剥がそうとしている。
本書は様々な角度から主人公の乙川弘文を描いている。ジョブスも主人公もすでにこの世を去っているが、多くの人々の言葉を通して、故人を生き生きと描き出している。これがノンフィクションの文学力なのかもしれない。また、著者は仏教学者ではなく、禅思想についても深く研究しているわけではないが、だからこそ、本書で描かれる出来事は読者にとって非常に身近に感じられる。間違いなく彼女の視点は、多くの読者の目線そのものだ。この点から考えると本書は、越境する文学の一つのモデルと言えるだろう。
乙川弘文は禅宗の名家に生まれ、永平寺の有力な後継者候補の一人であり、神経質ながらも才能溢れる青年だった。二十九歳の時、彼はアメリカに渡り布教の道へと進む。仏法を広めたいという情熱に満ち溢れていた。しかし、彼がアメリカに到着した六十年代は、五十年代のビートニク世代から生まれた反文化運動が最も盛んだった時期だった。ドラッグ、性解放、中絶、ヌーディズムなどの思想が広く蔓延していた。当時の禅に帰依する人々の多くはヒッピーだったという。異国の僧侶である弘文も女性の注目を集め、次第に放蕩な生活に巻き込まれていった。
著者によると乙川弘文は単に「巻き込まれた」のではなく、自ら進んでそのような生活に浸っていたという。本書には彼が女性との関係を持った後、一人で山の小屋にこもり、一ヶ月もの間過ごしたという記述がある。これは彼の心の中に大きな葛藤が生じていたことを示している。その後、彼は結婚し、アルコールに溺れるなど、ライフ・スタイルは大きく変化した。
乙川弘文は小屋の中で深く考え、伝統的な禅思想はアメリカ人にとって必ずしも適していないと悟った。彼は固定観念や自我を捨て、カオスの世界に適応していく必要があると気づいた。本書ではその人生観の変化を「転依」と呼んでいる。つまり、自己を超越して、すべてを受け入れるということだ。著者によれば、弘文は小屋での体験を通して、「転依」を経験したという。
アップル社から追放されたジョブスも同様の転換を経験した。彼は頑固な人物から、他人を包容することができる人物へと変化した。本書は乙川弘文とジョブスが共鳴できたのは彼らがどちらも「転依」という極端で純粋な心の旅を経験したからだと述べている。
乙川弘文は生涯に三度結婚し、五人の子供をもうけた。彼はスイスの川で、溺れる五歳の娘を助けようとして溺死。禅師として、彼は破天荒なタイプで日本史の中の一休禅師によく似ているとも言われている。