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わたしたちには休みが必要なのです

人生のなかの「お休み」の時間

そもそもこのnoteは「何か(それもできるだけ沢山の)誰かの役に立つ、ちゃんとしたもの」を毎日生み続けることにちょっと疲れていて、そのために始めたようなものだから

何を書こうとか、何か意味がある役に立つ情報を、とかいうこともなく書き始めて
大体がオチをつけないまま書き終わるようにしているし、
今回もはじまりからしてちゃんとしない方向で。

朝、暖房で倦んだようになった頭をすっきりさせようと玄関に出て
コーヒーを飲んでいたら、目の前の冬山のながめが綺麗だなと思ったのがきっかけ。

冬の綺麗さはどこからきているのか

そもそもから言うと、最近「もし自分のお店を持つことができたとしたら、名前は何にしよう」という妄想をしていたのです。

一度鎌倉でお店をしていたのでまんざら夢物語というわけでもなく、
前は色んな人とやっていたので、今度一人の小さな店を作るなら
どんなコンセプトと看板にしようかとかそんなこと。

人生で受けてきた大小の傷や痛みを修復するために、大人の時間の大部分を費やしてきたようなものなので
(このnoteも最初タイトルを「擦り硝子日記」にしようと思っていたら
別にタイトルとかいらない仕様だったw)

なんとなく、
そういう世間的には声高に被害者という顔をするほどではないけれど
個人的な痛覚はどこかがいつもたえず少し息苦しかったり傷んでいて、

「我慢ばかりしているうちに、擦り傷をつけ続けたガラスが
曇ってしまうように、自分らしさがよくわからなくなって
ぼんやりとしか生きられなくなっていることにまた傷ついてる人たち」
のための『はだ触りのよい何か』を扱ってみたいなと思っているのですが。

なので四季の中でやさしく楽しみの多い春秋ではなく、
厳しい季節になりがちな夏には雨を、あとは冬をやわらげる何かを足したものを、と。
それで冒頭の見出しの
「冬の良いところ、きれいなものってなんだろう?」な訳です。

休む・眠る・なにもしない空白

ちょうど雪が降りそうで降らない天気だったので、空がまっしろで
冬山も一応緑ってあるんですけど、すごい昏い深い緑色をしている。
灰色とぎりぎりのところの緑。
樹の幹も臙脂に灰をまぜたような色をしてる。

生命的な物が抜けていくと、赤味が去るんじゃなくてまずあたたかさ=黄色味が抜けるんですね。
それで「水分」「明るさ」「色」の順に抜けていって、灰色にちかくなる。
空もグレイっぽくて、地上も灰色がかっていて、ぜんぶに色がない。

生きている間体の中を絶えず巡り続ける血液も、そこから流れ出てはみ出してしまうと水分と色が抜けて最後は灰色になるのは人も一緒。
(女性は毎月あるからわかりますよねー)

これがなんだかすごく安らぐ。
変だけれど「休まる」のと「緊張がほどける」感じがする。

あ、冬の景色って視覚に流れ込む情報がすごく絞られて感覚が休めるんだなー。
寒いし雨降りそうだし、平日の朝だし、私は今日仕事しなくてもいいし、
山だから人もいないし、野枯れてて花もないから・・・世界と時間がすごく静か。

冬の季節がもつ良さって、たとえるなら「仮死」のようなもの。
眠りと手放し、すべてから一度離れることの安心と休息なんだなぁって思うのです。

ギリシャ神話では大地の娘、春と花の女神コレーは冬になると冥府に還り、冥府の女王・ペルセフォネーに名前を変えますが
眠り(ヒュプノス)と死(タナトス)はその冥府に住まう双子の神の名前。

夏が雨に一息つく呼吸なら、冬は眠りのやすらぎ。

とはいえ、夏雨冬離…冬眠…冬休み…うーん、語呂がいまひとつw








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