あぁ、行ってしまうのね冬
冬の気配がいっちゃうのが惜しい。
季節というのは人の日常のように「○月○日から変わります」という明確な告知もないのに、ある朝外に出た瞬間に
「あ、春がきたな」というのが何故だかわかるもので
細かく見れば、それは
昨日とまだ同じ弱々しい陽の光が、空気の中に溶けて広がっているのの
光の色味や軽さの僅かな違いだったり
空気が肌に触れてくる時のやわらかさだったり、昨日までは聴こえなかった鳥のさえずりに気づくことだったり
そんな断片的な、ちいさな変化の粒の一つひとつが、どれも「春服」な感じをまとっているのを感じて
「あ、春なんだ」となるのかなと思う。
春はなんとなくふっくらとして
ゆるんでいて生温くてとろりとした感触。
頭と体がちょっとだけふわふわするような。
ここからふわふわのMAX、桜の季節に向けて甘さを増していくのだろうな。
でも実は年々、年をとるごとに
私は春よりも冬が好きになりつつある。
ふんわりやわやわして、あちこちで生まれたての命が目覚めているような【動】よりも
冬の【静】な感じが好き。
切れそうなくらい冴えた空気に
匂い一つ、ちいさな物音一つたてても鼓笛のようにあたりに響きわたるみたいなあざやかな感じもいいし
すべての色が抜け去ったあとの
有るか無いかだけが残った、容赦のないはっきりした白と黒の世界の静かなのもいい。
ぼんやりしていると冷たい湿り気に熱をとられて、冬のあいだはずっと眠りに落とされるような緊張感とか。
そうやって曖昧なものや適当なものは
みな土のしたで眠っているから
起きている私は、もう何かに合わせたり顔色を伺って揃える必要もなくなって
意識も眼差しも野生のまま、むきだしてもよくてどんどん冴えて白く光ってくるみたいで
なんだかとてつもなく自由になった感覚がするのです。
あきらめた、透明で選び抜いたものしか無い感じがとても好きで、
だから「春がきたな」と思うときにちょっとだけ
「あーあ」という気持ちが湧いたりもするのです。