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勇気を出して前に進んでみたら否定された件

※ちょっとした愚痴の吐き出しです。見たくない方は🔙

元々は同じ目標に向かっていたとある友人A

敢えて”彼女”、という言い回しを遣わざるを得ないことがあります。
ご了承下さい。

私は彼女と同じ夢を6月ぐらいまでは抱いていました。
それは「生活支援員」という仕事です。
私は4月に一度「生活支援員」として就職しましたが、求人に記載されていた長期休暇が一切ない事や自費でレクリエーションに参加しなければいけないという実態を知り、早々に退職し、趣味に使うお金の為に違う接客業に就いていました。
同業他社の面接にも行きましたし、書類選考の応募もしましたが、結果は不採用ばかり。

何故かというと、理由はやはり”障害者だから”です。
勿論うまく隠す方法もあったとは思いますが、私はその4月の就職前に”支援される側の人間”として就労移行支援B型事業所に通所していたため、調べてしまえばすぐに発覚しますし、調べずとも20代半ばからの空白の数年間を説明することが極めて困難のため、オープンにしていました。
そのため、「どうせ体力がない」「どうせ鬱が悪化して辞める」などという先入観から採用されることはありませんでした。

最後の極めつけは自身の生活支援員との信頼関係の崩壊

私にも生活支援員(作業所のスタッフではなく、行政手続きなどの代行やセルフプランを作ってもらう方の支援員さんです)が付いていました。
その方を見て生活支援員を志した一面もありました。
何故かといえば、その方が障害当事者だったからです。
軽度知的障害、発達障害などと不安障害を抱えていらっしゃいました。
それでも元気に懸命に働く姿を見て、「ああなりたいな」と薄らぼんやりと思っていたのは事実です。

ですが、その方の障害の特性が故に、全てが終わりました。
私は7月生まれなのですが、私に付くようになってから支援員さんは毎年誕生日プレゼントをくれるというのですが、ASD故にか『1回ももらったことがない』んです。
毎年誕生日を忘れられる、まぁ仕方ないか…と諦めていましたが、今年は某有名外国ブランドの名刺入れをくれると言っていました。
誕生日当日は私は仕事の関係で関東にいたので、帰阪後に会う日時の前の日に連絡を入れ、「誕生日プレゼント楽しみにしています。」と伝えましたが、まさかの既読無視。
そして会ったときにも誕生日のたの字も出ず、非正規雇用とはいえフルタイムのように仕事をしていた私に対して言った、「A型作業所に行かないか」という的外れな提案…。

そして同時に私が頼りにしていた支援員さんと同じ会社から派遣されているヘルパーさんがご高齢ということもあるのですが、駅から徒歩5,6分の私のマンションへ来るための道半ばで休憩を挟まないといけないほど体力の低下がみられたこと、不在だった時に掃除をさせてほしいといわれていたので任せていたのですが不本意な掃除の仕方をされたこと、後々判明するのですが2週間ほど家を空けていたにも関わらず在宅していた期間よりも高い電気代…。

このタイミングで私はヘルパーさん、及び支援員さんとの契約を破棄することに決めました。

尊敬していた支援員さん、頼りにしていたヘルパーさん。
何処か私は裏切られたようなそんな気持ちにもなり、生活支援員じゃなくてもいい。とりあえず自分の力を試したい。
そう思って登録していた派遣会社を幾つか頼って、8月後半から現在の司法書士事務所の事務として働き始めました。
ヘルパーさんがする仕事がなくなるからと毎回残していた洗い物も、トイレ掃除も、難なくこなせています。
また色々と何かにつけ支援員さんへの報告が必要があった事柄がなくなり、手隙になったのもあります。
今の現状としては、「あれ?私って一人でもやっていけるじゃん。」
そういう感じです。
部屋の掃除はなかなかできませんが、関東から帰阪した際に友人から譲り受けたペット達のケージの掃除や餌やりなどは難なくこなせていますし、部屋の掃除は出来るときにすればいいと思っています。
洗濯も自分で都合をつけてしていますし、もしかすると私には不必要な支援だったのかな、と思っています。

関西にあまり友達がいない私にとっては大切な存在だったはずなのに

そして此処で漸く登場するのが彼女、友人Aです。
私が派遣社員として働きだしてから、機会を見て彼女とコンタクトを取って仕事について真剣な話し合いができる1人だと思っていました。
なので意見交換や彼女が受けているキャリアカウンセリングについて話しを聞きたいと思い、連絡(といってもXでのやり取りですが)をしました。

すると彼女は、「カウンセリングの内容を自分の中で精査したい」というので、別に私も急ぎではないので「いつでもいいからね」と返しました。
するとここで話が嚙み合っていないことに気付きます。
彼女からの返事は、「またの機会に」。
…違和感に気付かれましたか?
私は今日明日に会って話をしたいわけではなく、お互いの都合が合うタイミングでと伝えているのですが、彼女は近々の話だと思い込んで断りを入れてきたのです。

これに私は最近彼女が「悪口や愚痴を言う人が嫌いだ」「愚痴などを言わない人は僅か2割らしい」「私は言わないから少数の人間だ!」などと滅茶苦茶な持論且つ悪口を言っていたのもあり、別の友人と電話中だったこともあり、相談したうえで彼女に直接メッセージアプリで連絡をしました。

内容としては、「疲れてて噛み合ってないのに気づいてないかな。人によっては嫌われてると思われても仕方ない内容だよ。気を付けようね。」とまぁこんな感じです。(もっと嚙み砕いて長文ですが)
すると彼女からの返信はびっくりすることに、
「そう思うなんてあなたは相当疲れている、荒れている証拠だ。今はゆっくり休んで。」
でした。
勿論別の友人と電話中で落ち着いてましたし、送る内容も電話中の友人にこれでいい?と確認をしてもらってました。
なので私も、「え?何を言ってるの?私は落ち着いてるしそれは仕事で疲れてはいるけど満身創痍というわけではないよ」と返しました。

此処からが衝撃なんです。

「ここ数カ月SNSを見て思ってたけどあなたはしんどそうだ、おかしいよ」と。

私は咄嗟に返しました。
「しんどくないし何を勘違いしているのかわからないけど、あなたは何を見てそう思ったのかな。まぁそう思ってるならそう思っておけばいい。」と。
何となくですが、理由を聞いても頓珍漢な内容が返ってきそうだなと思ったからです。

友人から譲ってもらったペット達との生活、程よく忙しく充実した仕事、新しい目標、自分一人で生活をしていく習慣。
別に私は何の苦でもありません。確かに職場環境が整っていない為愚痴を溢すことはありましたが、だからと言って退職しようとも思っていませんし、寧ろ経験として活かせると思っています。
彼女から見て何がしんどそうなのか、聞かずにメッセージアプリはブロックをしましたが、SNSは放置しています。

私も司法書士を目指していることは現状Instagramに繋がっている友人数名しか知りません。
彼女にもそのことを打ち明けようと思っていた矢先です。
打ち明ける前でよかったのかなとも思いますが、もやもやに包まれたままこの記事を書いています。

何故もやもやするのか?

それは勿論理由と根拠が分からないからでもありますが、実は一番最初に彼女とAの事を示す、というと書いたのには訳があります。
彼女Aはパンセクシャルなのです。

実をいうと私は2カ月ほど前にパンセクシャルの別の友人と縁を切りました。
過度なODとODによる記憶欠乏、解離性障害があり、また別に身体にも障害といわずとも重い病気を抱えているのにODがやめられない子でした。
前日の夜の会話(勿論履歴有)も覚えていないような子でした。

ふと先日の彼女の件で思い出しました。その子のことを。
パンセクシャルとは所謂、戸籍上は男性、心は女性、そして恋愛対象も女性なのです。
人によってはただの女装家ともみられるかもしれませんが、違う、そうです。
LGBTQが浸透しつつある昨今ではありますが、体も心も女性ではないけど性対象は女性ということがSNS上でも議論されていますよね。

私自身ガールズバーなど”女性特有の職業”に就いていたこともあり、嫌悪感を感じる女性がいることについては仕方がない事だと思います。
ただ私は理解したかったし知りたかったのですが、2人連続でこう言ったことがあった以上、あまり関わりにならない方がいいのではないかと考えてしまいます。
勿論個々の差はあるのは理解していますが、私を理解してくれないのに何故彼女たちを理解しなければいけないのかという葛藤の中、記事を書いています。
勿論私自身所謂普通の女性です。ですが色々と家庭や養育の都合上で普通ではないかもしれません。
LGBTQに関してもお世話になった方がそうだったことがある以上、否定はしません。

ただ女性的なパンセクシャルの方とは、もう関わらない方がいいのではないか、と思っています。

恐らくそれ以外の要因があっての今回の一件だとは思いますが、生活支援員を目指すのならば深入りしない、共感しない力が必要にはなってくるそうです。
まずは自分を見つめなおしてほしいと切に願います。

長文の愚痴になり申し訳ございません。
ただ私は私なりに充実した毎日が人によってはしんどそうに見える現状はなんなのか。この原因が知りたいとは思っています。

どうか精神疾患を患う方が同じように精神疾患の方に対して一方的に勘違いを深めて持論を唱えることが減るように祈っています。

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