あと64日|井関の夢。駆け抜けろ、沖縄。|三世代同居までの道のり|
今日は、高3のクラスメイト、井関の夢について書きます。
私たちは3年G組=3Gでした。
3Gはちょっと特徴的なクラスで、ABCDは全員文系、EFは全員理系なのに対し、3Gだけは半分基礎数・半分がっつり理系のごちゃ混ぜクラスでした。
基礎数学を専攻していた半分の生徒は、看護師や理学療法士など医療系を目指していて、実際にクラスメイトの約半数が医療者として働いています。
それもあってか??3Gのクラスメイトは優しくて思いやりのある子が多くて、行事もクラスみんなで楽しんでいた印象が強い。そして、卒業した後も、その繋がりが途絶えずにいる。
普通、クラス内に仲良しグループがあって、そのグループ単位では遊ぶけど、クラス内の不特定多数で集まるのは・・・みたいなのが多いと思う。実際、私も3G以外のクラスはそんな感じだ。。
だから私にとって3Gってちょっと特別で、誰とでも気を許して気軽に話せる大好きなクラスなのです。
前置きが長くなりました、、
そんな3Gが22歳になる頃、その年も開催されたクラス会でお酒を飲みながら井関が言った。
「俺さー、修学旅行の文集に、〝いつかまたみんなで渡嘉敷島に行って、お酒を片手に思い出話にふけりたい〟って書いたんだよなぁ〜」(※私たちの修学旅行は、例年は沖縄本島のはずが、なぜか沖縄の離島 渡嘉敷島だった。後から聞いた話によると、私たち学年担当だった先生たちが結構頑張って異例の企画を打ち出してくれたらしい。ナイス、先生たち🙌)
そしてその井関のつぶやきが即採用された。
社会人になったら、みんなの予定を合わせて旅行に行くのは現実的じゃない。ならば残り数ヶ月の大学時代に叶えてしまおうという結論に至ったのだった。
しかし、前述したように私たちのクラスは医療系が多かったため、年明けには国家試験を控えていた。っが、とにかく今しかないと覚悟を決め、日程の合ったメンバーをかき集めて決行した!!(2014/12/19〜21)
そして、言うまでもなく、このたった2泊3日の旅行は、最高に楽しかった。(以下、内輪ネタが主です。)
無計画にレンタカーで向かった美ら海水族館は閉館30分前に到着。館内を猛ダッシュで回った。幸い、巨大水槽の前には誰もおらず、カップルで貸し切ったかのような写真が撮れた笑
次の日の朝一のフェリーに乗るため、先発組はもう寝ようとしていた頃、日中授業に出てから合流したメンバーに「せっかく俺らが合流したんだから飲み直しだ!」と言われ再開。結局飲み明かし、私が井関の手のひらにゲーして終了。ちなみに、泡盛は水割りで飲むという常識を誰も知らず、ストレートで飲んでいた。
その後、ゲーを処理をしてくれた優しい友達。(現在看護師と薬剤師)
翌日、無事フェリーに乗り込んだと思ったら、「俺の財布、ベッドの上に忘れてきた!」「どうしよ…部屋の鍵持って帰ってきちゃった」と、2名の問題発覚。二日酔いの中、猛ダッシュで宿とフェリーを往復。
結果、ゲーPart2。
またしても優しく介抱してくれる友達。
でも、なんとか無事上陸した。渡嘉敷島。
5年前、実際に宿泊した民宿!
そしてついに〝いつかまたみんなで渡嘉敷島に行って、お酒を片手に思い出話にふけりたい〟が実現の時。
当時の文集を読み返し、夢が叶ったことを実感する井関。
そして泣いた井関。
飲みすぎ再来。
ゲーPart3。畳の上ではビニールシートまで用意してくれる優しい友達。
最終日、「寒いけど、やっぱ海入りたい…」と言うことで、またもや猛ダッシュでシュノーケル。
こうして、私たちの2泊3日が終わった。
この弾丸旅行を経て、私たちは「やらないより、やる」ということを学んだ気がする。
飲み会での井関の話を、ただの思い出話として終わらせなくて本当に良かった。
きっとあの旅での出来事は、何年経っても、何度でも、私たちの酒のつまみになる。
やらないより、やる
次は私たちの還暦祝いに、再び渡嘉敷島弾丸旅行を計画しようと目論む私です。
今日は、この旅へ一緒に行った小春と久しぶりに再会し、どうしてもこの旅の思い出を書き記したくなったので書きました。
にしても、小春とお茶した数時間で、19の【可愛いメスにはすぐ懐く】習性が立証された。なんて単純なオスだ。
素敵な休日をありがとう!!
お読みいただき、ありがとうございました。
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