#4 好きな本も好きな映画も、最初の3分でわかるという話
そして、その全体からかもしだされる生命力の揺れみたいな鮮やかな光 ー 人間じゃないみたいだった。こんな人見たことない。
3日目になりました。これで明日も更新すれば、立派に3日坊主卒業です。
こんばんは。
好きな本について、その思い出と共にとりあえず喋るシリーズ第2弾。
よしもとばなな『キッチン』
なんかこう、心の中に光をいっぱいいっぱい取り込めるような、輝きに溢れた本です。
だいすき。本当に。何年経っても色褪せず好き。
出会い、、、というか、存在を知ったのはものすごく小さい頃だと思います。
恐らく母の持ち物だったのでしょう。
本棚で一冊だけ異色を放っていた、キラキラでツルツルの本。
タイトルは『キッチン』
しかも書いた人の名前が、、、ばなな?
幼心に、なんだかちょっとおしゃれだぞと感じていたのでしょう。
パラパラと読んで、その時は中身にはあまり惹かれず、ただその装丁が妙に気に入って勝手に自分の蔵書に加えたのだった気がする。
ちゃんと中身を読んだのが、それからどれくらい経った頃だったのかは覚えていないのですが、とにかく初めて読んだ時に「すきだあああああーーーー!!!!!!」と惚れ込みました。
言葉が繊細で、いちいち細かい光を放っていて、ずっと読んでいたくなるような本でした。
卒論の言語資料になった話
先ほども書いた通り、どのタイミングで初めてきちんと読んだのかは覚えてないのですが、そしてこれもまたどういった経緯だったのかは忘れましたが、私はこの小説を、卒論の材料に使わせて貰いました。
材料といっても、私の専攻は言語学だったので、内容を取り上げるのではなく、中に使われている文を使って、英語と日本語の比較をする、というものでした。
そこで英語版のものを手に入れて読んだのですが、これがものすごい良かった。
言語が変わっても、良い本は良い。
それを卒論の結論にしようかと思うほど、いえさすがにそれは思ってはないですが、でもたしかに感動したのを覚えています。
英語になっても、この小説の繊細さや輝きは保たれていたし、よしもとばななさん独特の読みやすい文体がまるで崩れていなかった。
なのでこの本は、原本だけでなく英語版も合わせて大好きです。
" 人はみんな、道はたくさんあって、自分で選ぶことができると思っている。選ぶ瞬間を夢見ている、と言ったほうが近いのかもしれない。私も、そうだった。しかし今、知った。はっきりと言葉にして知ったのだ。決して運命的な意味ではなくて、道はいつも決まっている。毎日の呼吸が、まなざしが、くりかえす日々が自然と決めてしまうのだ。"
この本を読んでいると、人は何にも抗う必要はないのかなと思えてきます。
時の流れにも、自分の欲望にも。
慌ただしい日常で心がいっぱいになった時、
大切なものを失って心に穴が空いた時、
自分の息遣いを取り戻したい時に読んでほしい本だなと思います。
"世界は別に私のためにあるわけじゃない。だから、いやなことがめぐってくる率は決して、変わんない。自分では決められない。だから他のことはきっぱりと、むちゃくちゃ明るくしたほうがいい"
要注意事項
何度か友達にもこの本をオススメしてきましたが、必ず添える注意事項があります
「カツ丼食べたくなるよ」
読んで貰えば、たしかに。となるはず。
主人公のみかげちゃんが、大切な存在である雄一くんの元へ、あつあつのカツ丼を届けるシーンがあるんです。
出張先でたまたま入った蕎麦屋(だった気がする)の美味しいカツ丼を食べている時に、彼にどうしてもこのカツ丼を食べさせたいと思い立ったみかげちゃん。
真夜中の帷の中をタクシーで飛ばして、雄一が止まる宿の窓をよじ登り、屋根の上に寝転んで(?!)月を眺める。
やってることはただの不審者なんだけど、冬の夜の冷たさと、月の明かりの中に香るカツ丼の温かさや匂いがこちらにも伝わってくるようで。なんとも言えず、好きなシーンです。
というか、好きな人に美味しいものを食べさせたいという気持ちだけで、良い大人がこんな滑稽な行動をとっているというのが、たまらない。
ちなみに私はこのシーンを読んだ時、もちろん卒論なんてそっちのけで小説の世界に酔いしれていたのですが、卒論そっちのけついでに友達に「カツ丼食べに行こう」とLINEをし、自転車を飛ばして食べに行きました。
もちろん老舗蕎麦屋のカツ丼でした。
なんで蕎麦屋のカツ丼は、あんなにおいしいんでしょうね。
読む時は、空腹時を避けてくださいね。
おしまい。