manyo|西の魔女

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最近の記事

両親はいつも喧嘩ばかりだった。 私が物心ついた頃、両親の喧嘩がヒートアップし、母が父に包丁を突きつける場面を見た。父が母の頭を殴る衝撃。母がヒステリーを起こし、窓ガラスを割った血まみれの手を外に出しながら、近所に向かって「助けてぇ」と叫んだ。 家庭内の雲行きが怪しくなったときは、一歳下の弟と押入れの中で抱き合って一緒に泣いた。 父は母だけでなく、私たちにも手を上げた。 特に長女であった私には厳しく、手だけでなく、物で殴られることもよくあった。私の生意気な言動に父が激昂し

    • 花様年華な一年だった

      2021年は、花様年華な一年だった。 2020年、防弾少年団と出会い、彼らの魅力にあてられ、日々がモノクロからカラフルに変わった。 でも、彼らの魅力を語ろうとすると、周りの友人は「あーかっこいいよね」程度。 なんなら、「ケーポップナンテ」と馬鹿にされる始末。 だから私は、密かに彼らを推すことにした。 そんな事情で始めたSNSだったけど、この行動が、思いのほか(どころか、劇的に)私の心を癒していった。 好きなものを語るとき。 一人で壁打ちしていたのが、言葉を投げれば「そ

      • 生きるための希望

        これは、2021年で一番と言える、衝撃的で優しい、出会いの話。 私は今、その存在を思うだけで、涙が出てくるような、そんな優しい世界にいる。 その優しい世界の中心にいるのが、7人の少年、いや、少年から大人になろうともがく、異国の青年たち。 しかし、私がこれから語るのは、7人の青年たちの話ではない。この日本のどこかにいる、一人の女性の話。 これまで、私の心は地獄だった。 私は、生きる理由を欲していた。でも、その理由が、見つからなかった。 だから、「30歳になって、生きたい

        • 居場所

          「自分はここにいていいんだ」 最近、本気でそう思えるようになった。 数年前、私は診断こそされていなかったが、精神的におかしかった。 自分はここにいてはいけないと本気で思っていたし、他者からどんなに肯定されても受け入れられなかったし、ひとつの失敗で人から嫌われたと思い込んでしまっていたし、くだらないことに執着したりして、本当にめちゃくちゃだった。 私の周りにいた人は、相当疲弊していたと思う。現に、私のそばにいた人は、他者から「あの人は精神的におかしいから排除した方がいい

          自分がウサギではなくカメだと気づいた話

          最近、気づいたことがある。 それは、「自分はウサギではなくカメだ」ということ。 この話を友人にすると、「今まで気づいてなかったの、、?」とドン引きされるのだが、本当に最近気づいたのだから仕方がない。 私は、幼い頃からリーダーのような役割を担うことが多かった。児童会長、部長、実行委員長、イベントのプロデューサー。私はリーダー気質で、周りを引っ張るウサギなのだ、と本気で思っていた。 しかし、それらは「自分はできる」という激しい勘違いからきた、ただのハッタリだったと気づく。

          自分がウサギではなくカメだと気づいた話

          真夜中

          午前3時29分。 眠れなくて、みかんを食べている。 今、ふたつめ。 顔を洗って寝ないと。 あと、ハミガキももう一回しないとな。 ずっと抱えてた悩みのタネがひとつ減りそう。 一歩ずつ進んでいく。 おやすみ。

          近況

          久しぶりのnote更新です。 最近、ある決心をした。自分の進むべき道が明確になった。そこから、仕事も捗るし、精神も落ち着いてきてるし、とても調子が良い。 しかし、この一週間、自分のキャパを超えた案件が多かった。 始まりは、過去の自分のトラウマのような出来事がまたやってきたことだった。逃げ出したくなるような場面で、グッと涙をこらえながらその場をなんとか乗り切った。 それでも、夜一人になると上手くやれなかった悔しさとかイライラとかが湧き出てきて、声を押し殺して泣いた。

          決意

          祖父が亡くなって、2か月が経った。末期の食道がんだった。 病気を知ってから、祖父のためにできることをできる限りやった。 それでもこの27年間、祖父からもらったものと同じものを同じだけ返せたわけではない。 祖父なき今、私は祖父のために何ができるのだろう。 まだ、祖父が亡くなったときのことを思い出したり、文字に起こすことはできそうにない。 だけど、やっと、祖父からもらった手紙の数々を読むことができた。 そこには、「私」という人間を自分自身よりも大事にする祖父の思いがあふ

          絶望、とは

          祖父の末期癌が発覚した。 もう手術も抗がん剤治療もできないらしい。 祖父は、どんなときも私の味方だった。 私が無茶な道に進もうとしたときも、黙って見守ってくれていた。ただただ、見守ってくれていた。私のお守りのような存在。 そんな、祖父の気持ちを考える。 人一倍、我慢強い祖父は、人に弱音を吐くことはない。そんな祖父が、自分のことを"厄介者"だと嘆いた。それを聞いて、祖母が泣く。そんなことを言わせてしまった、と泣く。 そんな話を母から聞き、祖父の気持ちを考える。 それは

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          年明けから始めた、noteの毎日更新。 日頃思うことを何かしらの言葉にするのはとても楽しくて、少しずつ自分の思考の癖みたいなものが見えたり、自分を客観視する機会が増えたりしたように思う。 けれど、3月に入ったあたりから、仕事量が圧倒的に増え、食事も睡眠もままならない日が、毎日ではないけれど、増えてきた。 その中でnoteを書くのは息抜きになることもあったが、最近ではそんな時間をとることができなくなり、やっつけ仕事のようになっているんじゃないかな、と思うようにもなってきた

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          食生活

          最近、noteの毎日更新が少し苦しい。 仕事量が以前より圧倒的に多すぎて、帰宅は深夜。帰ってからは、勉強。 正直、noteを書いている暇はなかなかない。 そんな日々を送っている私だけど、ふと周りを見回すと生活自体が滞っているような感じになっていることに気づく。 特に、食生活だ。 ご飯は一日一食か二食に、おやつを食べるくらい。このままだと体を壊してしまうことは容易に想像ができる。 だから、食生活を改善することに決めた。 が、何から手をつけていいのやら… まずは、

          美容室

          数ヶ月に一回の、贅沢。 それは、美容室に行くこと。 わたしの場合、髪を切るだけじゃなくて、カラー、トリートメント、ヘッドスパのフルコース。 おしゃれな空間で、用意された美味しいチャイを片手に、タブレットで美容雑誌を読む。普段の私には似合わないような、優雅な時間。 正直、美容室とかって少し苦手だった。あの、気を使っておしゃべりしなきゃいけないっていうのが、なんとも億劫に感じてしまう。 でも、ここは特別。スタッフの人たちとはもう10年近くの付き合いで、あるときは私のくだ

          理想のデート

          「どこに行きたい?」 と聞かれたら、迷わず“プラネタリウム”と答える。 ほんの数十分の、宇宙の旅。 映画とは違い、泣けるシーンだって、クライマックスだって存在しない。 あるのは、ただ、無数の星たちだけ。 まるでほんとうに宇宙を旅しているような感覚に陥り、ほんの数十分のはずなのに、終わった後にはひとつの物語を見たような充実感で満たされる。 目に映る星たちはいつか消えて無くなってしまう。それでもなお、美しく輝き続ける。 宇宙は、とてつもない美しさと愛しみであふれてい

          理想のデート

          無知を自覚する

          歳をとればとるほど、経験値が増える。知識が増える。そして、知らないことが減っていく。 ただし、それは「学び取ろう」とする意識を持つ人だけが手にできるものだと思う。 世の中には数え切れないほどの「学び」の要素が散りばめられている。 そのほんの一部を目にしただけで「知っている」「理解している」と錯覚しているような大人には、なりたくない。 自分は、無知である その意識を、忘れたくない。 無知であるということを、きちんと自覚したい。 *** 社会に出て、5年。まだまだひよ

          無知を自覚する

          仕事と私

          私の生活の中心には「仕事」がある。 とくに今は、環境・立場的に頑張らないといけないときで、友人の誘いやら趣味やら、全てを後回しにして生きている。 でも時々、このままでいいの?と思うときがある。 いつか後悔するときがくるの? 最後に何も無くなってしまったらどうしよう。 このまま前に進んでいいのかな。 漠然とした不安に襲われる。 そんなときは、 ケ・セラ・セラ と、自分自身にアドバイス。 人生、なるようにしかならないのだから、悪い未来を想像して落ち込んでも意味はな

          救いたいという気持ち

          「私はここにいる全ての子どもたちを救いたいと思って働いている。あなたは?」 小学校の先生をしていた頃、先輩の先生に言われた言葉。 この言葉を聞いた私は「そんなの、綺麗事だ」と思った。しかしその裏で、もう一人の私の魂が揺さぶられたように感じた。 *** 私は、障害や不登校などの困難を抱える子どもたちのサポートをするため、塾で先生をしている。 小学校で働いていたときも、同じような志を持ってはいた。しかし、子どもたちのことを考える暇もないくらい慌ただしい日々を過ごしていた

          救いたいという気持ち