百人一首解説「今はただ思ひ絶えなむとばかりを人づてならで言ふよしもがな」
こんにちは!
よろづの言の葉を愛する古典Vtuber、よろづ萩葉です。
今回は百人一首の63番、
こちらの和歌を解説していきます。
作者
作者は左京大夫道雅。
藤原道雅です。
道雅の父は、藤原伊周。
聞いたことのある方も多いかもしれません。
清少納言が仕えた中宮定子の、お兄さんです。
伊周といえば、父の道隆は娘を天皇の正妻として入内させた権力者で、
その長男である伊周は父の後を継いで関白になろうとしましたが、
叔父である道長に権力争いで負けてしまった人物です。
その伊周は、道長への恨みを抱えたまま亡くなりました。
そして残された伊周の長男・道雅。
父のせいで家は没落に向かっており、道雅は出世することができませんでした。
道雅は荒っぽい性格だったと言われていて、何度か暴力事件を起こしています。
でも彼の元々の性格によるものというよりは、不遇な立場だったことが影響しているのではないかと思われます。
内容と背景
今となっては、あなたへの気持ちを諦めると直接あなたに伝えることができたらいいのに。
これは悲しい恋の和歌です。
後拾遺集の詞書には
任期を終えた伊勢の斎宮に、お忍びで通っていたところ、
その噂が広まり見張りを付けられたので会うことができなくなった。
その時に詠んだ和歌、とあります。
この「任期を終えた伊勢の斎宮」というのは、当子内親王のこと。
三条院の娘です。
伊勢の斎宮は斎王と呼ばれ、伊勢神宮に奉仕する未婚の女性を指します。
斎王は結婚していないことが絶対の条件でしたが、
任期を終えて京都に戻っていたので、身分の高い貴族とであれば結婚できるはずでした。
ただ、そのためにはちゃんとした手順を踏む必要があります。
ましてや当子内親王は、父の三条院から溺愛されていたといいます。
そんな当子内親王と結婚したいなら、なおさら根回しは必要だっただろうと思われます。
ですがこの道雅。
先ほどもお話しした通り、血筋は良いものの家は没落しつつあり、身分は高くありません。
正式に結婚を申し込んでも無駄だと思ったのか、あるいは元々荒っぽい性格だったのが裏目に出たのかは分かりませんが、
道雅は当子内親王の乳母に協力してもらい、内親王の元へお忍びで通い始めました。
するとその噂はあっという間に三条院の耳に入ってしまいます。
怒った三条院は、二人の仲を引き裂きました。
その後、二人は2度と再会できなかったと言われています。
会えなくなってから道雅によって詠まれたのが、この和歌でした。
道雅の荒っぽい性格は感じさせない、ただただ悲しみだけが込められた和歌ですね。
引き裂かれた後
仲を引き裂かれた後の二人は、どうなったのでしょうか。
当子内親王は誰とも結婚しないまま次の年に出家し、なんと21歳という若さで亡くなってしまいます。
一方、道雅はさらに荒れてしまい、「荒三位」なんていうあだ名で呼ばれることになります。
もう一人、二人の逢瀬の手引きをしたとされる乳母。
彼女も、二人が仲を引き裂かれた時に三条院によって任を解かれてしまったそうです。
そしてその後は道雅に仕えたといいます。
荒々しい道雅は乳母を脅して無理やり内親王に近づいた、内親王はそんな不名誉な噂が広まったせいで出家して亡くなった…という説もあったりしますが、
乳母のことを考えると、道雅に対して悪い印象を抱いていたようには思えないんです。
乳母の意思で道雅に協力したと考える方が自然な気がします。
道雅の性格が実際に荒っぽかった可能性は高いですが、彼が起こしたとされる事件はもしかしたら後付けかもしれないし、
もしかしたら根は真面目な人物だったのかもしれません。
当子内親王もきっと道雅のことが好きで、仲を引き裂かれたショックで出家したんだろうと僕は思います。
☆動画で解説
よろしければご支援お願いします!活動の費用に当てさせていただきます🖌️