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【制作後記】紫式部は宣孝をどう思っていたの?

こんにちは🖌️
古典Vtuberのよろづ萩葉です。

今回は動画「紫式部集より、紫式部と宣孝の和歌をご紹介します!」の制作に関するお話をします。

大河ドラマ「光る君へ」ではあまり描かれることがありませんでしたが、
紫式部と宣孝の和歌の贈答は紫式部集の中でも特に好きな部分なので、それをぜひともみんなに伝えたい!という気持ちで作った動画です。

・宣孝は紫式部より20歳以上も年上で、紫式部と結婚した時はすでに正妻がいた。
・二人は喧嘩することもあったし、側室だからなかなか会いにきてくれない時期もあった。
これだけ見ると、あまり仲良くなさそうかもしれません。

でも紫式部はこの時代にしては晩婚で、母がいない代わりに弟と父の世話をしなくてはいけなかったからかもしれませんが、あまり結婚に対して前向きだったようには思えません。

出仕してからも人付き合いは苦手だったようですし、和歌が詠めるのに恋人がいたという話も残っていません(実際にいなかったかどうかはわかりません)。
源氏物語という小説を書いておきながら、自分の恋愛にはあまり興味がなかったように感じられます。

そんな紫式部が、人生で3年間だけ連れ添った相手が宣孝なんです。
宣孝が亡くなってから再婚もしていない。
ただの想像でしかないですが、死別してからも一途に宣孝のことを想っていたのではないか、と僕は思っています。

晩年になって、人生を振り返って作ったとされる紫式部集。
僕は、自らの手で選んだというところに注目したいです。

紫式部集には、友人と贈り合った和歌、そしてその大事な友人を亡くした悲しみを詠んだ和歌もいくつか収録されています。
紫式部にとって大事な和歌を詰め込んでいるんです。

つまり、宣孝との喧嘩も大事な思い出ということなんだと思うんです。
そして喧嘩中でもちゃんと返事をするし、最後には仲直りをしている。

そんな二人の関係を、仲が悪かったとはどうしても思えません。
夫婦喧嘩くらいして当たり前だし、歳の差なんて好きになったら関係ないんです。
好きだからこそ、会いに来てくれないのが寂しかったんです。

また、喧嘩のことばかりが有名になっているように感じますが、
プロポーズに答えた時の和歌や、恋人同士の和歌など、二人の愛を感じられる和歌もあるということも知ってほしかったんです。

和歌なので本心かどうかはわかりませんが、動画でもお話ししているように、好きでもない相手に返事を送ることはしません。
亡くなった後に悲しむ和歌を詠むこともしないと思います。

垣ほ荒れさびしさまさるとこなつに 露おきそはむ秋までは見じ
(夫が亡くなって、垣が荒れて寂しい撫子に露が加わる秋まで私は生きていないだろう)

紫式部集

やっぱり紫式部は宣孝のことを好きだったんだろうと思います。

宣孝がもし早くに亡くなっていなかったら。
紫式部は人生を悲観することもなく、もしかしたら源氏物語は生まれなかったかもしれませんね。

最後までお読みいただきありがとうございました🖌️


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