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【葛藤と涙と】NIPT検査(出生前診断)を受けてきました。

妊娠11週にあたる今日、NIPT検査(出生前診断)を受けてきました。

この検査を受けるかどうか、何度も夫と穏やかな話し合いをしてきました。

私は「できることなら受けたくない」

夫は「受けてほしい」



私が検査を受けることに抵抗があった理由はいくつかあります。

もしも万が一の時、夫と話し合ったうえでお腹の中の赤ちゃんを諦めるということになったとき。その決断、その過程を乗り越える自信がなかったからです。

それに、NIPT検査はたった3つの染色体異常の有無しか知ることができません。脳の異常や心疾患等、世の中本当にいろんな障害を抱えて産まれてくる子供が少なからずいます。「普通」に生まれることが幸運であるこの世界で、数え切れないほどの「病気」があるこの世界で、このたった3つの異常を見つけるための検査を受ける必要性をあまり感じなかったのもあります。もしこの3つに異常がなかったとしても、産まれたあとに発覚する障害だってたくさんあって。健常に生まれても、不慮の事故等で障害者という枠組みに入ってしまうこともあって。どんなことがあっても乗り越えるしかないこの世界で、たった3つのこの疾患だけを確認する。なんだかそこにとても違和感を感じていました。

そして、もしも子供が検査項目の一つであるダウン症という結果であった場合、私はその子を十分に愛せる人間ではないのか、とも過信とも自信ともいえるなにかがありました。

この数週間、ダウン症の子を育てる親御さんのYouTubeやブログをいくつか拝見させていただきました。どのご両親も、たくさんの葛藤、涙を乗り越えたという過去はあったというのは十分承知の上、「この子のいない生活は考えられない、愛おしくてたまらない。」と話していたのが、その表情が、あまりにも温かくて。

その温かさは、「命の選別」というワードを更に私の中で色濃くしていき、私は「授かった命を精一杯愛することができる。きっとそう。私は、私のお腹の中でこの子が生きたいと命を繋ぐ限り、そのためにできることはしなければいけない。母として。」と、強く思うようになっていきました。


ですが夫は違います。

夫のこの意見は、「お腹に命を宿しているのは女性だから簡単に男性は検査を受けろという」だとか、そのような安易なものありませんでした。

夫のいとこには、知的障害の男の子がいます。(ここでは名前をかっちゃんと呼ばせていただきます)

その知的障害の程度がどの程度であるのか、専門家でもない私にはわかりませんが、かっちゃんは、普通に意思疎通ができます。
「どこにいってたの?」「何してきたの???」と聞くと、普通に返事が帰ってきます。だけれども、学習障害があったり、突拍子もない話題を急に出してきたり、自分のペースを崩すことができなかったり。

話して1分もすると、「なんらかの知的障害があるな」とみなさん感じるような、そんな子です。

かっちゃんは夫の家のすぐ近くに住んでいて、知的障害があるということから、夫の家族も含めみんなで協力しながら育ててきたようです。

そんな環境だったから、夫はかっちゃんを本当の家族のように接します。夫がかっちゃんを障害者扱いするような姿を私は一度もみたことがありません。

みんなで食事をするとき、端っこにすわるかっちゃんに向かって、遠くの席に座る夫が「かっちゃん(๑╹ω╹๑ )ニコニコ!!!!!!!!」と笑顔でよんで、両手でグーサインを送って。そんな夫を見てかっちゃんも、笑顔でグーサインを返します。

「かっちゃんかっちゃん(๑╹ω╹๑ )♪」
「かっちゃんあの水族館いった(๑╹ω╹๑ )?!?!」
「かっちゃんまたあの中華屋さんいったの(๑╹ω╹๑ )?!?!?!」

誰よりも積極的にかっちゃんと話す夫に自分のペースをとことん崩されるかっちゃんは、夫がいると嬉しいけど苦手だそうです。笑

「俺かっちゃんに色々聞きすぎて嫌われてるんだ〜(๑╹ω╹๑ )キャキャ」と楽しそうに笑う夫が、NIPT検査を受けることを強く希望しました。


「まにょちゃん(๑╹ω╹๑ )
障害を持った子を育てるって、綺麗事じゃないんだよ(๑╹ω╹๑ )」

そう、夫は言いました。

「愛せる、大丈夫。」と過信していた私に、ぐさりとなにかが刺さりました。

「俺ね(๑╹ω╹๑ )かっちゃんのこと大好きなんだよ(๑╹ω╹๑ )

でも、やっぱりかっちゃんを育てるお父さんとお母さんとか、手伝ううちの両親を見てたら、綺麗事じゃないって感じる。産むにしても諦めるにしても、相当な準備と覚悟が必要だと俺は思ってる。そのために、検査を受けてほしい。」


夫は単に、「障害者は育てたくない」という意図で検査を受けてほしいわけではありませんでした。

私が知らない「リアル」を幼い頃から見てきたが故の意見でした。


我が子は、女性である私の身体に宿っているだけであって、私の子であり夫の子です。

そしてこの子の親である夫のことを、私は心から尊敬し、信頼しています。


私が「なんの意味があるんだろう」ということを伝えたうえで、あそこまでかっちゃんを大事に思う夫が、我が子の父親である夫が、「それでも受けてほしい」というのであれば。


そういうのであれば、受けようか。


言い争うこともなく、空気が冷たくこともなく。


私達夫婦は、検査を受けることにしました。

夫の意見に従うことにしたのは、私が夫を尊敬し、信頼しているから。ただそれだけです。


もし結果が陽性であった場合、子をどうするかという決断はできていないまま、今日、検査を受けに行きました。


病院では検査前に赤ちゃんの様子を確認するのですが、初めて腹部でのエコー検査を行いました。

「うん、赤ちゃん順調ですね。
心臓も元気に動いてます。」


初めて、我が子の心音を聞きました。


ドッドッドッドッドッ・・・・・・・・・


何度も早いペースで力強く脈打つ鼓動を初めて聞いた時、「私は今なにをしているんだろう」と、一気に罪悪感に苛まれました。

生きている。我が子が力強く心臓を鳴らしながら、私のお腹の中で命を繋いでいる。最初は5mm程しかない小さな小さな胎嚢でしか確認できなかった我が子が、今は4cmに近い大きさに育っていて。頭と身体をしっかり区別できて、手足も素人の私が見てもわかるくらいちゃんとできている。


私達夫婦が望んで、そして私のお腹に宿ってくれた我が子。

そんな我が子に対し、障害がないかを確認しようとする母親である私。


淡々と説明がなされたけど、あまり記憶がない。

泣いてしまうと、同意書にもサインできないような気がして。


できる限り何も考えないように。心を無にして。


とりあえず、淡々とこの時間過ごすんだ。


そうして、心を無にしたまま採血を終わらせ、病院をあとにしました。


何も考えるな。


何も。何も。


何も考えないことが、今私が私の心にできる最大の自衛だ。


考えるな。考えるな。


無表情・無気力のまま家について。


あまりの暑さに、そして部屋の涼しさに、

「ふぅ・・・・・・・・」とソファに横たわる。


横たわって、今日もらったエコー写真を見る。



やっと、ワンワンと泣くことができた。


ごめん、ごめんね。

こんなにも、毎日毎日温かいとみせかけた手で毎日のようにお腹を撫でて。

大きくなってねと毎日のように祈って。

これが夏だよ、暑いねだなんて話しかけて。

来年無事に会えますようにだなんて神社でお祈りして。


そんな私が、今日あなたに障害があるかどうか確認しにいったんだ。


障害があるってなったら、私達どうするんだろうね。


あんなに一生懸命に生きてくれているのに、私はなにをしようとしているんだろうね。


そんなことを自分自身と我が子に投げかけながら、

ワンワンと泣き続けた。



神様。


神様どうか。


どうかどうか、私がどんな選択をしても、
その選択を乗り越えられる強さを宿してください。


どんなことが起きようと、
私は私の人生において必要だった選択をしたと思える、
そんな選択をできる賢明さと聡明さを与えてください。


どうか。


どうか。



まにょ。

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