明治維新のヒーローのウソ。西郷隆盛は時勢を把握できないバカ?頭の悪い偏見の塊の長州藩のせいで不平等条約になった。
同じ物でもみる角度が変わると印象が変わりますよね。
でもそのもの自体の本質は何も変わらない。
今回は「明治維新」の別角度の話。
教科書や司馬遼太郎などの「明治維新」はご存知の通り。
鎖国していた徳川幕府の力が衰え、不平等な日本を変えるために薩長が一役買って民主主義の時代へ変革したというストーリー。これは結果的に徳川が大政奉還をして屈した形になったので、薩摩藩の功労を讃えるような、いわゆる一辺倒な歴史印象になっているのも事実です。
実は角度を変えると印象がかなり変わります。
事実をいくつか挙げてみましょう。
アメリカについては薩長よりも徳川家の方が知識と対策が確立していた
徳川幕府はアメリカと日米修好通商条約でかなり日本にも利がある交渉に成功し締結したが、無知な長州藩が暴れたことによるペナルティが大きく、不平等条約になってしまった事実。
西郷隆盛は長期的な日本の未来計画を理解できなかった
明治維新の功労者とも言われる西郷隆盛は、政府の長期的な計画を理解できずに、最後は政府にたてついて命を落とした。
明治維新の背後にはオランダ、イギリス、アメリカなどに踊らされた薩長が操り人形になっていた
薩長は結局操り人形だと言うことを徳川幕府は見抜いていたが、操る側の勢力が強すぎて民主主義の波に飲まれた。
薩長のせいで、明治維新の時にはすでに第二次世界大戦の日本の敗北の道筋が出来上がり、現在の日本の意識の低下に成功しているという説。
いろんな角度から物事を判断したいですね。
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