違って、当たり前
人は一人では生きていけない。
いや、生きていけるのかもしれない。
でも、想像を絶するほどの孤独感を味わうことになるのだろう。
その孤独感が大きくなればなるほど、恐怖感も増し、心が崩壊して
しまうかもしれない。
誰でもいいから話がしたい。
誰でもいいから、この気持ちを聞いてほしい。
誰でもいいから、今という時を、共に心に刻んでいきたい。
そんな望みが、とめどなく溢れてくるのだろう。
だから、
だから、
今という時代を、
たくさんの人がいる中で、
孤独を感じるとは、どういうことなのか。
周りに人がいるのに。
話しかければ、自分の気持ちを伝えることができるのに。
もちろん、みんな性格が違うから、
恥ずかしさから、なかなか話しかけられないこともあるし、
迷惑をかけたくないから、という思いがあるからかもしれない。
自分自身で、他の人に話をしなくても、孤独であると思わなければ
いいのだろう。
でもね、周りに人がいても、周りに気持ちを話せる人がいても、
そして、気持ちを伝えたとしても、
心の奥底に刻まれた傷は、そう簡単に癒されることはないんだと思う。
たくさんの人がいるから、自分とは違った性格、違った考え方、違った生き方、違った環境、違った職業などなど、、、
違っていることは、決して悪い事ではなく、違っていることは、当たり前のこと。
だから、その違っていることに対して、あれこれ、とやかく言う必要はないのだと思う。
違うから悪い、同じだから良いではなくて、違っていていい、それが当たり前だから。
そう思うことで、周りの人のことを責めたり、とやかく言う気持ちにならないのではないだろうか。
周りの人を気にするのではなく、自分自身を気にしたみたらいいのではないかと思う。
自分の健康について、自分の仕事について、自分の服装について、自分の将来のことについて、自分のやりたいことについて、、、などなど。
挙げれば切りがない自分自身のことについて、とにかく執着してみたら、
きっと、他の人のことはどうでもよくなるように思う。
自分自身に、もっともっと興味、関心を持って暮らすことで、周りの人たちのことも、ああ、そうなんだな、と受け止めることができるようになるのかもしれない。
私自身、50歳を過ぎたあたりから、そう思うようになった。
そのおかげで、今は、色々な人に会うことが、楽しみになっている。
へえ~、そうなんだ。
ええ~、まじで、信じられない~。
そうだよね~、、、
色々な感情を持ちつつも、相手を、周りの人を否定することはなく、受け入れる。
だって、違って当たり前だから。
今日も、最後までお読みくださり、ありがとうございました。