アフターコロナの飲食店(労働問題5)

昨日は東京で200人以上の感染者がでました。検査数が多くなったとはいえ、周辺の埼玉、神奈川でも増加してます。東京を仕事や生活の基盤として日々の生活をしている以上は感染が拡大しても当然かもしれませんね。

現在の東京一極集中の生活様式こそ、「新しい生活様式」に変更していくべきことではありませんか?

さて、だらだらと労働問題について、今まで書いてきましたが、今回はこれからの経営者と労働者のあり方について、お話ししたいと思います。そもそも、経営者と労働者というセクターを分離しているのでしょうか?それは、労働に対する法律があるからです。本来生産活動をするためには、その生産したものを必要とする需要があり、それを生産し、ある一定の利益(それを生産するための人の生活費)を加えて、供給する。これが本来の生産活動です。

では、何故経営者と労働者が分離されないといけないのでしょうか?そもそも、法律というものは、人の営みにたいして、人道的な規範が存在し、それを補うものとして「法律」を定めているわけです。だから、経営者と労働者という分離した考え方になっていったように思われます。

労働者の権利とかを誇張して振りかざし、いつも労働者は経営者から迫害を受けているかのようなイメージを作り上げたのは何か別の意図を感じています。(このことを書き続けると、本題から逸脱していきそうなので留めておきます)

生産活動において、需要を満たしていくために仲間を集め、生産し、求めている人に供給する。こんな単純な活動を実行するためには、仲間を集めるリーダー(経営者)とそれに同意してその個人が一緒に行おうとする人(労働者)が存在し、両者は自身の生活費を稼ぐために需要を満たすための活動を行い、供給者(お客様)からその活動をするための原材料費と生活費(販売価格)を頂戴する。これが本来あるべき生産活動ではありませんか?

さて、以上のことを飲食店にあてはめて考えたとき、経営者と労働者の関係はどうでしょうか?特にわかりやすく説明するために経営者をオーナーシェフとすると、オーナーシェフは自慢のメニューを提案し、それを食べたいというお客様がいて、オーナーシェフは一人ではその需要にお答えきれないので仲間(労働者)に補助をお願いして、お客様を満足させる。代金をいただいて、協力した仲間にその代金から分け前を渡しす。

こんな単純な活動でオーナーシェフは仲間を集めるわけですが、協力者はそのオーナーシェフの技術力をいつかは習得して、できればその協力者自身も独立したいと思っているわけです。

そんなオーナーシェフとその協力者の関係に今の労働法規や最低賃金などの壁が立ちはだかり、両者の関係がギスギスしてくるという現状があるように思います。その協力者は技術を教えてもらいながら、日々の活動の手助けをしているわけですから、活動の対価を得、その代わり受講料を払わないといけませんね。今の飲食店では労働者を雇い入れた場合は受講料をもらうことはできなくて、経営者側の研修費用の負担も強いられている。

これでは、ますますオーナーシェフは法規に乗っ取った仲間を向かい入れることが難しくなります。協力者も技術を習いたいと思っていても、思うようになりません。

そこで、提案ですが、オーナーシェフと仲間になりたい人は雇用契約ではなく、お互いに個人事業者として、その店の活動を維持するために協力し、技術を取得するという協力するための契約書を交わしてはどうかと思います。 お互いに納得できる契約を交わし、報酬を定めて、その店の運営協力していくのです。当然その契約に逸脱することがあれば、訴訟をすることも可能でしょう。

このような契約であれば、労働時間の制約、最低賃金を気にすることなくお互いがそれぞれの立場で契約にもとづいた関係をすることができるのではないかと思っています。いわゆるフリーランス的な協力者とオーナーシェフと関係かもしれませんね。

これが、私が思うアフターコロナの飲食店の労使関係のあり方ではないかと思っています。もちろん、労働法規が改正されて、我々のような飲食店での労使関係が反映されれば良いのですが、まだまだ時間のかかることだと思われるし、その改正を待っているほどの時間は今の飲食店にはないと思ってます。皆様、この提案はいかがでしょうか?



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京料理 萬長
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