見回りじゃなくて、見守り隊か? サスティナブルな飲食店になろう!!
全国の繁華街で路上や公園、空き地などで、飲み会をしている場面がテレビなどで放映されている。京都でも、鴨川の河川敷でそのような光景が見られるそうです。
各都道府県では「見回り隊」と称して、警察と共同で注意喚起しているようですが、注意するだけで、飲み会をしている人達は無視して、飲み続けているようです。
まだ、語弊はあるが、新型コロナウイルスの感染防止程度のことなら、まだ我慢もしますが、もっと深刻な事象が起こって、このような状況では、日本の危機管理は危うく、早くこのような状況に対して、主権を制限することのできる日本にしなくては、日本の未来はないと思っています。
さて、話は変わりますが、環境保全対策も同様のことが言えるのではないでしょうか?
20年ほど前に京都の小学校でも環境教育が始まりました。当時PTAの会長をしていたこともあり、興味があったので、体育館で行われた「環境学習」を聞きに行きました。
環境NPO団体の若い人が講師となり、お話をしていました。大まかなお話は理解していたことなのですが、子供たちには「ピンと来ない」と思いました。ただ、そのお話の中で、「もっとも、地球環境にやさしいのはどれでしょうか」といって、「リンゴジュースが飲みたいとき、ペットボトル、アルミ缶、紙のパックのリンゴジュースの中で、一番地球にやさしいのはどれでしょう?」という質問をして、答えは覚えていませんが、「なんとナンセンスな質問だ」と怒りを覚えたことを思いだしました。
私なら「お母さんが、作ってくれたリンゴジュース」と答えたでしょう。私の子供のころ、風邪をひくと、大根おろしをするおろし金ですりおろしたリンゴをガーゼに入れて、絞ってくれたリンゴジュースがとても美味しかった。
これなら、容器のごみは出ませんので、最も地球環境にやさしいと思ったわけです。今なら、ジューサーミキサーがあるので、それを使えば美味しいリンゴジュースができるでしょう。
ゴミの問題ですが、コロナ禍でテイクアウトが重宝されています。しかし、家庭ごみは例年に比べ、増加しています。このようなご時世ですから、仕方ないとは思っていますが、この状況が続けば、ごみの最終処分場が一杯になる時期が平常時に予想された時期より早まり、その後のごみの最終処分場をどこかに作らなければならなくなる。
私の店では以前から京都では当たり前の「仕出し」をしています。お店で提供している食器で、ご自宅まで配達して、回収するという文化があります。
京都では仕出し屋さんは以前沢山ありました。廃業したりして、今では件数は減りましたが、それでも、まだ多くのお店が仕出し屋をしています。
先ほどお話しした「地球環境に最も優しい行動」ではプラスティック容器を使ったデリバリーより、仕出し屋さんが当たり前で選択されるように、もう一度、仕出しを見直してほしいと思っています。
世の中は、様々な変化をして、またその変化のスピードも増してきてます。しかし、このような世の中でも、人の気持ちや文化のなかに「普遍的」なものがあると思っています。もう一度、暮らしの中の普遍的なものを皆さんも探してみてはいかがでしょうか?