ポストコロナの飲食店(労働問題3)
最近では京都の街の様子を見ていると、コロナ以前の状況(海外観光客を除く)に戻ったような人の動きがみられます。でもどうでしょうか?その人の心模様は以前とはちがうのではないでしょうか?
在籍している会社が倒産するのでは、人員を削減される、このままこの会社に残っていて良いのか、ボーナスは支給されるのか?などなど。一方経営者はこのままで良いのか?アフターコロナでは今までの会社経営から変化しないといけないのか?変化するとしたら、どのように変化したらいいのか?などなど。それぞれの立場で悩みを抱えながら、国からのお小遣い?をもらったから、少し喜んでいたりしてるかも。
さて、以前からお話ししている労働問題ですが、私は結論から言うと、昭和の労働制度はアフターコロナの世の中では適応できない状況が生まれ、法律の規定に基づいた労働時間や労働時間に対する最低賃金などが実質的にカウントできない状況がうまれつつある。例えば、在宅でリモートワークをしていると、急に子供がぐずりだして、その子のお世話を一時的にしないといけなくなる。この時間は勤務時間ですか?、休憩時間ですか?フルタイムの一日8時間をどのように把握するのですか?また、最近では副業も推奨されています。本業の勤務時間中に副業の電話が入って、やり取りをしたとか、緊急のメールが入り、対応したとか、想像するだけで様々な時間の使い方をしていると思うのです。
そもそも、政府が副業や在宅勤務を推奨している一方、今申し上げた労働時間の定義は現存の法律のままでは、対応しきれないでしょう。最近はブラック企業(サービス残業が非常に多い会社)はそこに勤めている社員が提訴したりして、会社側もそのような勤務状況であれば、多額の賠償金を支払うことになったり、求人しても希望者が集まらなくなることはおそらく承知している。最近の日本ではアメリカのように簡単に提訴することができるようになり、多額の賠償金を支払ことにならないように自制するでしょう。
また、契約社員のことですが、よく国会で野党が正規社員になりたいが、正規社員になれない「かわいそうな労働者」的なイメージを植え付けられているが、確かに正規雇用希望者も多く存在するが、一方、正規社員になりたくない労働者もいることを知っていてほしい。転勤が嫌だ、残業が嫌だ、人に仕事を指示する立場になりたくない。など、あえて都合が悪かったり、正規社員のように指示するのが苦手な人も多くいるということです。
このように最近の労働者も会社もそれぞれの立場で一定の枠組みのなかでは労働や会社経営は対応しきれない世の中になっていることを認識して、その様々な労働環境や会社経営に対応するための労働法規を早急に整備する必要に迫られていると私は思います。続きはまた次回にします。