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誰かを好きになったらって話
理想と感情の矛盾を突破したって話⑤
さぁ、まとめだ。
好きな奴と会うのに鎧を着るな
誰かを好きになったことで、そうなりたいと願わない自分になろうとしていないだろうか。
そんなことで悩んでいないだろうか。
いい女になりたい、なんて思えない人間が女らしさを取り繕っても、ただの使いこなせないヨロイにしかならん。
ただひたすらに、自分を隠そうとしとしているのと同じだ。大きくて重たいヨロイで動きも緩慢だ。スマートとはとても言えまい。
自分だって苦しいし、
相手からしたら、
「ホントの自分を見ないで下さい」
「あなたには見せたくないんです」って
何だか拒否されているように感じるだろう。
人との関わりで一番大切な「心」を閉ざしているように。
そうすると、チグハグして自分も辛いし、相手だって楽しくない。
相手の立場にたてばわかるだろう。
ずっと心の距離は縮まらない。
なーんも始まらんてことだ。
ヨロイを脱いだら
ぴょりが好きなフレデリックの曲に、
スキライズムというのがある。
「嘘の自分で好かれるよりもホントの自分で嫌われよう」
好きな奴が自分を気に入ってくれるかどうか、そんなことはわからないことだ。
だからこそ、この精神が大切だと思う。
女としての自信がないのに、女らしくなりたいと思わないのに、女をアピールしようとしてどうする。
もし仮にアピールが成功したとしても、好きな奴に嘘をつくのか??嘘を突き通すのか??
それで、心が近づくと思うか??
ぴょりの場合は、ヨロイを脱いだら心の距離がぐっと近づいた。
相手も前より楽しそうだし、
表情とか、ちょっとしたやり取りから、今までには感じられなかった温かいものを相手から感じるようになった。
もちろん、女としては見てもらえてないと思う笑
でも、相手の前でちゃんと話せるし、ちゃんと笑える。
相手といる時間を心から楽しめているし、そんな自分の姿を相手に見せられて本当によかったと思う。
誰だって、
自分と一緒にいて、楽しそうに、嬉しそうにしてくれる人がいたら、嬉しくなるだろう。
少なくとも嫌な気はしないはずだ。
少しでも、好きな奴をいい気分にさせてあげられたなら、そんな幸せなことはない。
だから女として見てもらえなくても全然いい。
前より、好きな奴の言動に一喜一憂しなくなったし、ドキドキしたり緊張したりすることもなくなった。
前ほど飛躍したアホな勘違いをすることもなくなった笑
自分のことも、少〜し嫌いじゃなくなってきたし、多少、自分を大切にすることもできてきた気がする。
自然な自分でいることの、清々しさたるや。
ホントの自分で嫌われよう!
そのぐらいの気持ちでいるのがコツだと気づいた。
恋人がするようなこと、したくないのか
したくないといえば嘘だ。夢に見ることもある。
どんな感じかなぁ〜って考えることもある。
でも、そんな事より肝心なことがあって、
それが今自分が感じている「心」なんだと確信できているから、
悩んだりしないのである。
アんなこなことやコんなことをできていたって、
心が遠く離れてるケースよりずっといいと思っている。
そりゃあ、心が近い状態で、アんなこなことやコんなことをできれば、未だ見ぬ素晴らしい世界を知ることができるんだろうとは思うけど……笑
そこらへんは管轄外なので。おいとこう。
ぴょりが気づいたこと。
年齢が離れとるとか、性別がどうとか、ライクかラブか…?!とか、
そんなことは上辺の薄っぺら〜いこと。
本質を見よう。本質をさらけ出そう。
そして本質の凄さを知ろう。
人と人の。こころとこころの。
これだ。