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高校の、ココをこう変えたい。其の弐

其の壱に共感してくださった方、ありがとうございます。続きです。

1 謎の校則
  →学校とはなんぞや?を新しく構築

校則の話をしだすと、高校ってそもそも何なん?という話になる。そこがマッチしてない者同士で議論しても、埒が明かんのよ。

校則について議論するなら、そこを議論したらいいと思う。そして、必要なルールがあれば、作ればどうだろう。

大切なのは、既存の高校をベースにしないこと。
まっサラな状態から、義務教育が済んだ10代にどういう場所、機会があるといいか?を考えんと。

高校というものの存在にすらとらわれてはいけない。

そしたら、現在の各高校にあるような謎の慣習、校則が生まれるはずがない。

校則の現状を見ると、教育現場の取り残されてる感が半端ない。

2 真面目じゃない、ラクしようとするのが悪という教え
  →達観して行動しようという教え

「アイツはすぐに楽しようとする」「すぐ楽な方に流れる」
「面倒くさい?無駄?ごちゃごちゃ言わずやりなさい」
「あの子は真面目でいい子ね」

学校ではよく耳にする言葉だ。

ぴょりは、こつこつ努力するのが苦手な子に、その姿勢を身に付けさせようとは思わない。楽して結果を出すなら、いいと思う。むしろ、すごいな、とさえ思う。

ぴょりのクラスのある生徒のはなし。
数学が得意なはずなのに、数学の提出物が未提出になっていて、理由を聞いた。「だって、できる問題何回もやって、なんの意味があるん?」
この生徒は、やれ、出せ、と指示されたら、ただ真面目に従うのではなく、これは無駄か?時間をかけてやる価値があるのか?と自分で判断していたのである。テストの点数がいいから、もちろん数学の成績はいい。「提出物の点数がなくたって、普通に点数とれるし、いいや。」
この生徒は、受験で5分間スピーチがあったが、今までに見たこともない頑張りを見せて練習した。何回も話す練習をした。そして、合格した。「これは、マジで頑張らんなんヤツ」と判断したのだ。

社会に出たら、真面目にこつこつ努力したって、的はずれなことをしていたら、誰も褒めてはくれない。

頼まれた仕事を文句も言わず真面目にやってばかりいたら、ただの便利屋さんになって、辛い思いをしてしまう。

真面目さも努力も、ときには大切。いつも大切なのは達観すること。
楽しようとするのは悪いことじゃない!

よし。其の弐 終わり。

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