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成人式のニュースで気づいたって話


成人式と体育祭のハテナ

22歳の集い
「振袖を着たかったので参加しました」😊

成人式のニュース

着飾って写真撮って、
地元の友人と会って
ご飯食べて酒飲んで盛り上がって

楽しいイベントらしい。
ディズニーランドで遊んで。


ぴょりは、理解できない。

自分自身のときも参加しなかった。

楽しいものと思えないし、
参加したからどうだと言うんだ、と思っていた。

おじさんたちが、ありきたりな話するだけやん。
そんなもんで決意もクソもあるかい、と。
(ありきたりって決めつけてごめん、おじさんたち)

まだ社会にも出てない、
親のスネかじりの分際で
成人とかいわれてもピンと来ん、と。

毎年、この時期の成人式のニュースを見ると
?で頭がいっぱいになる。

これについては、過去のnoteにも書いた気がする。

このときの?は、あのときの?と一緒だと
今年、気づいた。

あのときとは
高校3年生の時の体育祭だ。

3年生の特権で、ヘアメイク&オリジナル衣装のド派手なカッコでクラス対抗の応援合戦をするのが慣例だった。
多くの同級生が楽しみにしてたふうだったし、当日も楽しそうだった。

ぴょりは、暇だったので、大半の時間、
運動場に設けられた、自分のクラスの大きな櫓の後ろで砂にお絵かきして遊んでいた。

何がおもろいんやろ…?
授業潰れるのはええねんけど。

そう、そのときの?だ。

同じだと気づいた。


?に隠された自分の本心

そして今年、その?に潜む自分の本心にも

気づいた。

冒頭の「振袖を着たかった」というセリフ。
これを理由に成人式に参加することに?を抱いたことに間違いはないが、

?の核心は「振袖を着たい」という感覚だったんである。

振袖という可愛い衣服を着たいと、
素直に思えること。

ましてや、それを2年前に中止になった成人式の代替の集いに参加する理由として、
堂々とテレビのインタビューで言えること。

そのことへの羨ましさ、コンプレックスが込められた?だったのである。

さらに、
みんなでワイワイ騒いで盛り上がるのが好きではないのは本当だけれど、
心の何処かで、それを楽しいと思えれば、楽しいんだろうなぁって羨ましいんだと思う。

そして、おそらく、
自分が羨ましさやコンプレックスを抱いていることを受け入れたくなくて、

遠くから冷めた目で、ちょっと上から見てたんだと思う。

あいつら意味不明や、と。


もしも

素直に可愛くなりたいと思えたら、
素直に自分を可愛くしたい、と思えたら、

楽しいんだろうなぁって思う。

自分にはわかりえない、楽しい世界があるんだろうなって思う。


自分の中では、
この件については決着がついている。

noteにも、理想と感情の矛盾を突破したって話
ってのに詳細がある。

が、それでも、

そういう女の子であることに憧れる気持ちが自分の中にあるということだ。

大変気持ち悪いが、
それはどうやら、事実のようだ。

まだその事実を受け入れるだけの心が育っていないが、

これもひっくるめて、
自分という性別、自分という人間を楽しめるようになりたいな。


気持ち悪いって思わなくなったら、
そのときが、心が成長したというサインなのだろう。

自分の今の状況について
成人式が気づかせてくれた。ありがとう🐰

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