両眼球狂orHunter(もしくは影の夢に対しての考察)
-脳ト眼球丿時代-
あるいは予測されるヒトの終演について
影のユメを見たことがありますか?
貴方の踝に纏わりつくあの影のことです。
私はある午後微睡んでいて
薄皮一枚の眠りの向こう側にいて
すっかり熱くなった
電灯の下に手を翳していました。
どういうわけで電灯の下に手を入れていたのかは
覚えていませんが
手の下ですっかり
ヌルくなっていた水の入ったガラスコップに
私の手の影ができていなかったのです。
電灯のヒカリは私の手をまるで無いもののように素通りして
ガラスコップのなかの
水をぼんやりと暖め続けていたのです。
その時に初めて夢の中での影のありようというものに
気がついたのですが
考えてみれば夢の中で影を見たことがありませんでした。
友人達に訊いてみたものの
影のユメを見たと断言しきれる者は殆ど
いません。
ごく僅かな確信者達も
どういうわけか見た当時
脅迫観念にとりつかれて逃げ回っていたとか、
世界から切り離されたと思い込み
自己確立丿為と称して
かなり強いクスリを常用していたようなヤツばかりでした。
果たして
どうしてそういうことになるのか
影のユメとある種の脅迫概念やら自己喪失性との間に
なんらかの因果律でも存在するのか?
このことは結局私からはなれることはありませんでした
影のユメというわけではありませんが影というと思い出すのが
其れに纏る伝承です。
例えば吸血鬼は鏡に写らないとか、化け猫が障子に写る影でその本性が
看破されたりと。
これもある種の因習や事実を伝えるものだとしたら・・。
或いは化生のものを非日常なものとして
その境界線に影という符合があるとすれば
現在の非日常者達と日常者達との境界をくぎるものとして
未だに存在する「鏡」の役割を果たし続けているのかもしれません。
つまり鏡に写らないもの-影を残すものが化生であるように
影のユメを見るもの-現実世界の果てまで非日常(ユメ)の残滓をひきずるもの-非日常者-現在世界での化生-なのかもしれません。
では、影の無い世界とはどのようなものなのでしょうか?
我々が棲んでいるこの世界にも影のない、いや、影の出来ない世界といったものが
存在しています。
確かに夜は影ができづらいでしょうがそれではあまりにも不完全です。
明かりの無い古代世界でさえ月が影をつくり現実とユメとの境界線をいとも簡単にひいてしまうからです。
影のない世界は我々人類が地上に登場する遥か古代から存在し、
しかもそこにはその環境にきちんと適応した住人達が棲んでいます。
深度300メートルから下にひろがる闇の世界を我々は深海と呼びます。
その世界は遥か古代から黎明と続いた黄昏の世界でそこに住む住人達は
影の存在さえ認識したことがないでしょう。
深海を生活域にしたこれら深海魚の多くは古代からあまり進化していないものが多いとされています。
一番古い種類のサメはやはり深海にすんでおりますし、リュウグウノツカイのようにその生態型すら
把握できない不思議な生き物が他にも多く棲んでいるようです。
いまでもタマに捕まって新聞等をにぎわすシーラカンスもやはり、この影のできない国の住人なのです。
特に前述したシーラカンスに至ってはモトモト化石等で発見される同種のものは
体長8センチ位しかないものも多いというのに、現在発見されている種は軽く1メートルを超える大型魚なのです。
果たして一体なにが彼等に起こったのかは知る由もありませんが
それの一番理由として上げられるのが生活環境の変化だといわれています。
つまり、古代のシーラカンスは比較的浅瀬に多く分布する魚で化石も大半はそういった場所から発見されているのです。
ただ、生活環境が変化したというだけのことで果たしてシーラカンスのように悠久の時間を生き延びられるものなのでしょうか?
私にはこれもまた影という因子がなせるワザに思えてならないのです。
つまり、もし貴方が現実生活のなかでの狂気に脅えるなら、そしてもし狂気というものが
影という符合のなかである一定の法則性
(影のユメを見るものは狂気のなかに暮らしていて、影のユメを見ないものはその狂気の枠の外に暮らしている)
に寄り添うものだとしたら
狂気に出会わない為にはあらかじめ影の無い国の住人になれば良いのです。
そうすれば万が一影のユメを見たとしてもそれを現実として考えればいいだけのことで、
貴方は境界線をなくした時間のなかで永遠にユメを彷徨うことができるはずです。
そう考えれば
深海という影のない国の住民達がえいえいと時間を微睡むように生きてきたことにも説明がつくような気がします。
この奇妙な因果律を見つけたころ私の周囲は狂気で埋め尽くされていました
僅かばかりのクスリを手に入れるために4年間も一緒に暮らしていた恋人を
ヤクザに衝動的に売り飛ばしてしまってしまったとか
自分が捉えようもない強大な牢獄に(それは街の十字路や、袋小路にしかけられた鏡や
ガラスの反射、複製によって迷路化して街を封鎖するものだという)封じられていて
そこからでるきっかけをえるために雨が降るたびに外へでて髪をむしって歩かねばならず常に頭から血を流しているやつとか・・。
自分以外のなにものも信じられず、一日中自分の糞尿を食い続けて結局救急車の世話になってしまったやつもいました
口から泡を飛ばして宇宙人や神の類いの救世主の降臨を叫び続けるものは枚挙に暇がなく
もう少し自制心を残していた連中はことごとく
クスリのなかに限定つきで残された自我に埋没していきました
狂気という強大な袋小路は徐々に歩幅をせばめ
我々の感性と生活をゆっくりと確実にむしばんでいきました
在るとき汚れて傷だらけになったフィルムを見ているうちに
仲間だった誰かがいきなり5階の窓から飛び降りたことを
きっかけに狂気に捕まれていた仲間のうちの何人かは
自主的に治るはずもない狂気を、治すつもりもない
病院へと居場所をかえ、残ったうちの何人かは強制的に
同じ場所に送られました
この奇妙な因果律は残された仲間を救うためのシステムを探すうちに
見つけたもののひとつでした
でもこれだけではあまりにも不十分だったため
私はもう一つの古来から伝えられていた
方法を試すことを考えました。
そ
れ
は
食
人
主
義
と
い
う
も
の
に
つ
い
て
で
す
。
こ
の
風
習
は
人
類
が
古
く
か
ら
伝
え
て
き
た
知
恵
の
ひ
と
つ
で
す
。
た
だ
十
九
世
紀
以
降
は
び
こ
っ
て
し
ま
っ
た
近
代
合
理
主
義
の
な
か
で
野
蛮
で
無
知
な
風
習
と
し
て
残
さ
れ
た
僅
か
な
モ
ノ
も
圧
殺
さ
れ
よ
う
と
し
て
い
ま
す
。
勿
論
食
人
主
義
は
人
間
を
食
料
の
か
わ
り
に
す
る
よ
う
な
も
の
で
は
あ
り
ま
せ
ん
。
魂
や
知
識
を
受
け
継
ぐ
た
め
の
重
要
で
大
切
な
儀
式
で
あ
っ
た
り
相
手
の
力
を
手
に
入
れ
る
た
め
の
重
要
な
方
法
だ
っ
た
り
し
た
も
の
が
大
半
で
し
た
。
現在先進国と称してはばからぬような国家ですら義兄弟の契りとして 互いの血をすすりあうような慣習が
残されているくらいなのですからこういった慣習が人類にとってどれだけ密接で重要なモノであったのかが
伺い知ることが出来るように思えます
ヒトは共食いもしますが、ハラが満ちているときにヒトを食うという行為は伝承や相手の力を受け継ぐため
の尊厳にみちた行為であると考えるべきモノであると理解してもらえば良いでしょう
なにも殺して喰らうことばかりがカニバリズムを指すわけではないのです
相手の体液をすすり
肉をそいで
飲み込んでしまうことは
さして異常な行為とないえないのです
高熱に苦しみ泣き叫ぶ子供に自分の指をきり
食べさせて入院させられてしまったやつがいましたが
それが
2人の関係性においてかくも重要なことなのなら
それをとやかくいうことは
誰にもできないのです
その時の彼の言い分は
自分の切れた指からつながる神経で病気で苦しむ子供と痛みを共有し
痛みや熱を半減しようとした
からで
神経が入っていて一番自分から切り離しやすくて
食べさせやすそうだったのが
指だった
のにすぎない
だからそうしただけということでしたが
結果子供と引き離され
2度とあうことはできなく
なりましたが
子供の熱はちゃんと下がりその子供は
今はあうことすらかなわなくなった父の存在を今もその体内でちゃんと認識しています
一般的な善悪、ノーマルであることの基準など本当につまらないもので
極限におかれることも自らそこへ赴くこともなくロクに突き詰められることもないような愛情などで
救えるものはたかがしれているといえば
いいすぎかもしれませんが
淵を歩くことでしか自己認識できなくなってしまったような
人間にとっては
自己と他者をつなぐには十分な重さの鎖と垣根になりえるものだったということはできるのではないでしょうか
樵<きこり>と女房
むかしむかしある深い森に慎ましく暮らしている樵がおりました。
樵にはそれは美しい女房がおりましたが、辛いことに女房は盲(めしい)でした。
樵は女房のことをとても好いておりましたから、女房が閉じ込められている闇の世界のことを考えるたびにその闇の深さと恐ろしさに脅えずにはいられませんでした。
ある寒くなり始めた日の夕暮れ、いつものように森から帰ってきたきこりは手の中に握っていたものを女房に握らせました。
今日は森でとてもいいものを拾ったんだ。
ほら、握ってごらん。
あら、なにかしら?
女房は出した手を思わず引っ込めていました。
なにやらヌメっとしてあたたかい柔らかいものに触れたからです。
それはいままで樵が森から持ち帰ってきたどんなめぐみとも違っていました。
ねぇ おまえさん これはなぁに?まだ一度も触ったことがないものだよ。
これかい これは目玉だよ
にぎってごらん、ホラ グニョリ
あれ 本当だ、ソレ グニョリ
そして樵は昔、婆様から聞いたというとても不思議なハナシを始めました。
それは遠い遠い異国のハナシです。
今よりはるか昔大陸のあるところに砂に囲まれた とても貧しい村がありました。
その中に父親のいない寂しい家がありましたが頭の良い母親がたった一人の息子をそれは大切に育てておりました。
でも、悲しいことにその息子は生まれつきの白痴で、自分が死んだ後のその子の行く末を考えると母親はいたたまれぬほどの不安を覚えるのでした。
そんなある日世間で評判の導師がこの低い石積みの壁に囲まれた砂の村に立ち寄りました。
母親はなけなしの貢ぎものをもって導師に合い、ある秘義を授かることが出来ました。
その村から五里程離れたところに岩ばかりで出来ている険しい霊山があり、そこには昔から沢山の猿が住んでいました。
導師はその猿の脳を白痴の息子に食べさせると良いと母親に教えたのです。
そしてその猿の取り方と有り難い呪文も教えてくれました。
母親は導師に教わった通り、糸月の夜一人で険しい山に登り、眠りこけている猿の首を猿が気がつかないように身体から切り離しました。
袋いっぱいに首をつめて帰ってきた母親は教わった呪文を猿達に聞かせます。
すると猿達は自分の身体がなくなっていることをすっかり忘れて楽しそうに歌いはじめるではありませんか。
母親は一匹目の頭蓋を外すと灰色の脳髄をとりだしそれをすり鉢ですり潰し、まず赤子の手で一握りの量を息子に与えました。
そうやって七日間が経ちました。
それが終わると次の七日間は子供の手で一握り、
そしてその次の七日間は女の手で一握りを。
最後の七日間は男の手で一握り、これがちょうど猿の脳一匹分になるのです。
一番最後の二日間、一日目はもう一度呪文を唱えて残った猿達に死んでいることを教えてやり、残りの一日をかけて山へ骸を返し、丁寧に弔ってやりました。
こうやって三十日が経ち、それから三年程もたったころには息子はすっかり白痴ではなくなっていました。
ありとあらゆる難しい科挙にもすらすらと合格し地方でしたが任官も目前に控えておりました。
ところがそのハナシがときの皇帝の耳にはいり息子は宮廷へと招かれます。
困ったことに皇帝の息子である皇子もうまれついての白痴だったのです。
皇帝は呼び寄せた息子の首をその場ではね、頭蓋を開けて脳を取り出すと金彩色の皿に盛らせ皇子に食べさせました。
でも一度に食べさせたからなのか、すり潰さなかったせいなのか、息子の記憶はそっくりそのまま皇子のなかに入ってしまい皇子は息子になりかわってしまいました。
皇子は床の転がっていた自分の首をはねた刀を拾い上げるとそれで皇帝を斬り殺してしまいました。
暫くの間皇子は乱心したと思われ見張られていましたが、疑い深い宦官達も優しくて利口になった皇子を皇位継承者として認めないわけにはいきませんでした。
やがて皇位を継承すると母親を呼び寄せ幸せな治世を長く長く続けたそうです。
樵はすっかりはなし終えると女房の目を撫で言いました。
おまえの目もこれを食べればきっと良くなるはずだよ。
さあ、口を開けてごらん。
樵は女房の口にまだ暖かい目玉をいれてやりました。
女房は少し苦労をしましたけれど、なんとか目玉を飲み込むことが出来ました。
すると不思議なことにたちどころに女房の目はパチリと開き初めて明るい沢山の色に彩られた世界を見ることが出来ました。
でも、はじめに見えたのは目を無くした哀れな夫の姿だったのです。
これは 悲しい 悲しい 愛の物語です。
砂街に伝わる物語のひとつです。
また 機会があれば語りましょう。
さて
私が残された仲間達と
カニバリズムと影のユメでなにをシステムとして構築し、なにをしたのかを
ここで書くことは出来ません
それは
当時の仲間達との重要な盟約でもあるからです
ただ
これらの狂気から逃れるために編み出された
色々なモノは
やがて姿を変え目的を変えていきました
狂気から逃れるためのシステムとして
集められていた
情報は
いつのまにか
予想される
ヒトの終焉をひもといていくための
予備知識へと変化していました
一度
25年程前に
これを演劇にして開示したことがあります
ただ
能力があまりに不足していたため
とても充分には表現しきれていませんでした
果たして今回も表現しきれるものかどうか
わかりかねますが
よろしければ
ゆっくり
最後までつきあってください
既に人類の終焉は予告されています
歴なるものが発明され多くの預言者達がそれぞれの歴史の節目を
終焉の予兆とし繰り返し繰り返しうわ言のように破滅を
呟き続けてきました
でも大抵のものは夢想のように不安定な願望めいたものであったように
思えますし
もともと在る一定種が増えすぎれば自滅することになるのは
必然的なところも在るのでこういった予言の類いも
さほどの意味があるものとはいえません
予想されるヒトの終焉とは
既にアトがない種としてのヒトのことであり
何度も何度も自滅して果てたヒトのことを指すわけではないからです
つまり今現在この星で進化の極北として栄華と破滅を象徴している人類
の終焉のことではなく
この星が星としての命が潰えようとするその刹那に
進化の頂点にたち文化という生物にあるまじき進化をとげた
ヒトという種が終焉を迎えようとするその様を
予想しようとしているのです
例えば強大で無差別な殺戮によってヒトという種が完全に地上から消え果てた
としても
また生残った他の種からヒトが生まれてくる可能性が在るかぎり
ヒトの終焉とは言えないからです
生物はその目的のために
進化をとげます
それはその生物自体の環境への意思によるものと考えていいでしょう
生物は全身の体毛体液までもがその葛藤によって
かなわぬ空をきるようにその遺伝子の塩基配列に
傷をつけ
進化を促し
長い長い時間をへて
姿を変えてきたのです
それが環境というあまりにも強大な力にたいして
生残ろうとする寄生種たる生物の
本来の姿なのです
進化の果てに生まれた生物が環境そのものを
変化させうる力を持ちえたとき
進化そのものが意味をなさなくなったとき
生物は自らがやっと手にした寄生種にはあるまじき
反自然的な力によって
自滅していきます
それは寄生種がその宿主そのものを
コントロールしようとした
壮大な本末転倒にたいする必然にすぎません
つまり
ここでいうヒトとは
この星が終局をむかえつつあり
既に他の生物がヒトになるまでの時間が用意されていない環境で
なにもかもが枯渇して砂とかしてしまった大地にしがみついている
僅か一握り程度のヒトの群ということになるわけです
この星の終局は親星である太陽の滅亡と同時であることは間違い在りません
ならば
50億年から60億年未来ということになるでしょうか
太陽は赤色矮星という状態に移行していて
この星からみれば
地平線全体に広がるような
巨大な赤いだらだらしたヒカリにしか見ないことでしょう
たいした熱量を伴わないこの赤いヒカリは
全ての資源を吸い上げた結果一面砂漠とかし冷えきり
枯渇した大地を
昼も夜もなく
ぼんやりと照らしています
現在のおよそ三分の一程度の面積になった海と海に生きる原始的な藻が
陸地に残された僅かな生き物と最後の文明のために空気を循環させ
ぎりぎりの命を保っています
既にヒトと呼ばれた種は何千回も滅び
また
違う傍系から進化して
この星に寄生しました
遥かな宇宙に新しい星(ホスト)を求めて船に乗ったヒトも多くいましたが
その多くは2度と帰ってくることはありませんでした
この星に寄生したヒトの歴史は大体位は残されていて
それなりな研究も進んでいましたが
この最後の時代に好んで研究されていたのが
この星で最初にヒトとして文明を作り上げた
つまり我々の文明でした
彼等の文明の多くは我々の文明をタタキ台にしたものでした
それはこの星の最後の寄生者としては
ごく自然な選択だったのかもしれません
彼等は
残された
残滓
のような文明を過去に潰えた文明にすり合わせ
僅かに残された生存への可能性を
模索しようとしたにすぎなかったのかもしれません
彼等はちょうど今の我々が向き合っているような
末世的な世界を迎えつつあり
我々の代から営々と生き延びてきていた
深海の生物たちに着目し
その研究を行うため
砂漠に深い縦穴を堀り
その砂の重みを動力源にしながら
水槽に圧力をかけ
多種の深海魚を飼い
その生態から
生き延びる為の方法を探しだそうと
していました
影のユメはそんな世界のなかで
生まれた
生存のための方法論でした
彼等はその理屈に従い
影が出来ない暗がりの中でのみ生活し
また、更なる動力をえるために
縦穴を掘り続けなければなりませんでした
もう、一体どの位の深さに沈降したのかわからなくなったころに
地上では最後の核戦争が勃発し
地上の人間の多くは影だけを残して
灰とかし
地底の生き残り達は
影の出来ない世界の住人として
あやふやな生にしがみついていました
さて、これが予測されるヒトの終焉についてのおおまかな前書きです
この後のハナシは
両眼球狂orHUNTER
で書いていきたいと思います
食人主義については
そこで
また
書くことになると思います
演劇というカタチでこれを上演したときには
ココまでのハナシはスタッフと役者のみに
話され
実際に上演したのはこの後の
両眼球狂orHUNTER
のほうでした